佐藤姓は下級官僚

2010年11月 6日(土) 21:28:25

あー。寝た。寝たネタねた。久しぶりに一日寝た。
正確にいうと、坂本龍一のロス・ライブのUst中継も見たし、夕方から夜までは起きていたんだけど、ボクにしては画期的に長時間寝た。こんだけ寝たのは1ヶ月以上ぶりではないだろうか。おかげで疲れが出ちゃったけど、きっと必要な時間。

それにしても、坂本龍一の北米ツアー最終日であるロス公演、素晴らしかった。ノッていた。シアトルもバンクーバーも見たけれど、一番よかったのではないかなぁ。これも iTunes が出たら買おう。しかも古川さんと平野さんのUst中継スキルも上がっていて、音も映像もアングルもスイッチングもすばらしかった。いい時代なう。

もう今日はこのまままた寝るけど(笑)、今日ツイッターで教えてもらい、とても面白かった記事に言及だけしておこう。
「苗字の不思議な勢力分布、都道府県別ランキング」と題された記事(日本経済新聞)。実に面白い。ただ、日本の新聞サイトってすぐリンク切れ(記事削除)してしまうので、2ページ目にあった表だけキャプチャーしておく(上図。クリックで大きくなります)。

記事の中で「佐藤」の姓について分析している。
まぁ藤原の末裔というのはボクも親から聞かされてきたのと一緒。ただ「下級官僚だったから増えた」というのには笑った。下っ端役人系なわけね。

「佐藤」は藤原氏の末裔(まつえい)だという。平安時代中期に藤原公清(きみきよ)が左衛門尉(さえもんのじょう)となり、それ以後世襲したため、左衛門尉の「左(佐)」と藤原の「藤」を合わせた名字「佐藤」が生まれたらしい。さらに、朝廷の職位で上から2番目を「佐(すけ)」と呼ぶので、代々この「佐」を務めた藤原氏も「佐藤」を名乗るようになった。
こうして下級官僚クラスの藤原氏が次々と「佐藤」を名乗って新天地である東日本に移り住むようになり、徐々に広がったという。
「『佐藤』という名字で大名になったり、公家や主要な神官になったりした例はあまりない。一般に家臣が主君と同じ名字を名乗ることはしないので、『佐藤』はトップの地位ではなかったおかげで増え続け、その結果、日本で最も多い名字になったのでは」と森岡さんはみる。
で、徳島や大分でも「佐藤」が第1位なのは、
源平合戦の際、平家方についた多くは西日本の武士だったが、合戦で敗れると、平家方の武士の領地の多くは没収され、特に徳島と大分では源氏方の東日本の武将たちに分け与えられた。東日本の武将はこれらの土地に一族や郎党を派遣し、統治するケースが多かったらしい。そのために、西日本でも徳島と大分では「佐藤」が多く残ったというのだ。

だとか。なるほどー。

ボクのルーツは新潟県だと聞かされている。
長岡に先祖代々のお墓があるし、ルーツの村は佐藤姓ばかりだとか(行ったことないけど)。ボクの遠い先祖はどんな思いで京から流れてきたのだろう。そのころの新潟はどんなだったんだろう。もっと奥の東北に向かった親戚とかもいたのだろう。どんな苦労があったのだろう。そんな想像を楽しみにまたベッドに行ってきます。おやすみ(笑

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。

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