叱ってもらえることの重要性

2010年10月17日(日) 18:21:43

先日の記事「大学で教えるということ」にわりと反応が多い。もちろん大学教育ということ、ひいては日本の将来を変えることへの責任論まで含めて順当な反応が多かったのだが、意外なのは「この歳になると叱ってくれるヒトがどんどん減る」のくだりへの反応が多かったこと。同年代からの「本当にそうだよなぁ」という系の反応を中心に。

いわゆるアラフィフ(50歳前後)になると、会社に先輩も少なくなってくる。
しかも仕事では経験豊富なベテランと見なされる歳になるので(みんな意外と戦々恐々として仕事してるんだけどねw)、だれも口出しをあまりしなくなる。油断してるとあっという間に「裸の王様」状態。

ボクの知り合いの某企業役員も「誰かに叱られたい」といつも言っている。
もっとも、この方の場合、「学校の委員長タイプの女の子にさぁ、『○○くん、ダメでしょ!』とか怒られたいよねー」ということなので、多少倒錯しているが(笑)。

でも気持ちは分かる。特に成長を続けてきたヒト(会社で上の方にいるヒトはたいていそうだ)は、ヒトに叱られることをバネにし、そこから学び、それを応用し、伸びてきたヒトが多い。ふと気がつくと周りに叱ってくれるヒトがいない。叱られて成長してきただけに、成長が止まってしまうのではないかという恐怖もあるのだと思う。そして、たぶんそこを越えないと次の次元に行けない。

ある伝統芸能をお仕事にされている方からこんなメールをいただいた(抄録)。

我が家の商売のお弟子さん方は、社会的には絶対に誰からも叱られないポジションにいる人の割合がとても高いです。社長、医者、学者などなど。

「素養として」的にお始めになる方がほとんどだと思うのですが、稽古をずっと続けておられる方々のご様子を見ていると、「師匠に叱られること」を無意識的に期待しているというか、欲しているというか。

うわうわ、そないに怖く叱らんでも(憤)!と叱られてない私の気が悪くなりそうな時でも、とにかく「叱られること」を真っ直ぐに受け止めて咀嚼しようとなさっておられる場面にしばしば出会います。

「誰かに叱られること」で、何かご自身の内面的なバランスを保とうとなさっているのかなと感じる場合も少なくありません。極端かもしれませんが、もしかして心地いいの??と感じることさえも。

人間にとって、「叱られる」は大切な刺激のひとつなんでしょうか。

「誰からも叱られない」のは良いようで実は全然良くない。良くないどころか、恐怖を感じてもイイくらいの状況にいるって事なのかも、や、きっとそうに違いない…と思う四十路の秋でございます。


いや、ホント。
内面的バランスもあるけど、「叱ってもらえること」の重要性をそういうヒトほど理解しているのだと思う。だからと言って実際に(お稽古事ではなく)自分の土俵で叱られると逆上してブチ切れる方も多そうだけどね(笑)

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。

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