作品にするということ

2010年10月 6日(水) 8:06:21

昨日は映画「ハーブ&ドロシー」の佐々木芽生監督と青山学院大学で打ち合わせをした。
佐々木監督は青学出身。その縁もあり、また中で助けてくれる人もあり、青学でのイベント、そして学生とのコラボなどが決まりそうである。また正式になったらここで発表します。

話はガラリと変わって、今日の毎日新聞で、いしかわじゅんさんがヤマザキマリさんのことを書いていたので引用したい。

 (前略)それでもこの漫画が面白いのは、ヤマザキマリに、どこにいってなにをしても、それを楽しめるという希有の才能があるからだ。体験したものすべてを、かなり自分風に解釈し咀嚼して吸収できるという、描き手には不可欠の才能があるからなのだ。
 エッセイ風の漫画を描いたりすると、よくそんな面白いことが身の回りにおきますねと言われることがある。そうではないのだ。誰の身の回りにも起きているようなことの中からも、なにかきらりと光るものを拾い上げられる能力こそが、作家性なのだ。見たもの聞いたもの体験したことを、どれほど正確に描いても、それは作品ではない。いかに自分のフィルターを潜らせてオリジナルの作品にするかが問われるのだ。ヤマザキマリには、自分の物語をそこに起ち上げさせる作家性があったのだ。

「テルマエ・ロマエ」でマンガ大賞を獲ったヤマザキマリさんの新作「世界の果てでも漫画描き」についての記述である。引用した理由は、ここに「作品にするということについてのすべて」が書かれていると思ったから。

自分の署名入りの文章や絵画はもちろん、署名が入らない広告などについても、それが表現である限り、「自分のフィルターを潜らせてオリジナル」にしないと作品とは言えない(厳密に言えば広告制作物は作品ではないが)。当たり前のようだが、これがちゃんと出来ている表現って意外と少なかったりする。そして、この「自分のフィルターを潜らせる」という作業が実に孤独で長い時間を必要とする。「口述書き起こし系」とか「コピペつぎはぎ系」とかの本が読んですぐわかる薄っぺらさを纏っているのは、その過程を経ていないからだろう。

とか、偉そうに言える立場ではないのだけど。 たいした作品書いてないし。
でもね、今週末、青森は八戸のイベントで、いろんな関係もあってなんと「文章講座」をしないといけなくなってしまい…。「書く」とは何か、「表現する」とは何か、「伝える」とはどういうことか、など、いろいろ考えている最中なのです。

まぁこうして毎日文章を書いているので、一度そういうのを自分の中で捉え直すにはいい機会だと思ってオファーを受けたが(「思いもよらぬ流れには乗ってみろ」w)、いまはちょっと後悔している。超むずかしい。まったくもって気が重い講演になりそうである。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。

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