「ついった?」
2009年10月28日(水) 8:32:59
毎日ツイッターしたり、首相とのご飯をツイッターで実況したり、ツイッターで知り合った人と飲んだりしてると、「もうそれが当然。みんなが知っているのが前提」とか勘違いして来ちゃうので、昨晩のことはバランスをとる上でもとてもいいことだった。見事にツイッターの「ツ」の字も知らない人たちと一緒にご飯を食べたのである。
というか、そっちの方がまだ大部分だよなぁ。当然化しちゃってる自分が変ということを自覚した方がよい(一般的には、ね。広告界やメディア界の人たちが知らない or 使えないのは相当ダメだと思う)。日々の習慣として先端系の情報をどんどん取り入れていると、一般との乖離に気づかずに突っ走っちゃったりする。それは(キャンペーンを企画する場合においても)あまりよろしくない。自分の客観的位置を自覚しながら走らないと。
それにしても本当に初耳だったみたいである。
「つ、つい?」「ツイッター」「ついった?」「ツイッター」「ついったぁー。それって新しいゲームかなんかですか?」「もしかしてツイスターを連想した?」「はい」
新聞やNHKの朝のニュースでもツイッター特集があったりするから、もうそろそろ大丈夫かなぁと思っていたけど、でもまぁだいたい世間的にはこんなもんなんだろう。
ツイッターに限らず、ミクシイですら「何それ」と言う人がまだいそうである(うちの母とか絶対知らないし)。というか「ブログ」という言葉だって、見たことはあっても実際にどういうものか把握してない人も多い気がする。心の中で「ブロゴ? ブグロ? いやブログだったかな。あれ? こんがらがってきた」と迷うレベルの人とかまだ意外といる気がする。
というか、一緒に食べたもうひとりは、月曜に鳩山首相の所信表明演説があったことも知らなかった。「所信表明演説ぅ〜。そんなんあった? ふーん…。新聞とってないからなぁ」と。
あの演説は一度は聴いた方がいいと思ったが、まぁこれについても意外とそんなもんなのかもなぁと思った。
テレビ・ニュースを見ない人も多いうえに、最近では新聞を取らない人も増えた。その状態で数日ネットをチェックしなかったりするとほとんどニュースに触れなくなる。実際、新聞の売り上げが減り始めてから、酒場の話題として時事問題が出てくる回数が顕著に減った気がする。生活スタイルだけデジタルに移行してしまい、実は「情報的孤島」に陥っているのにそれに気がついてない人が意外と多いのではないだろうか。最新ニュースを優先順位をつけた上でコンパクトにまとめて毎朝玄関まで届けてくれる「新聞」というプッシュ型サービスを軽視しない方がいいと思うけどな。
昨晩のふたりはとても常識的な知性人。昔から仲がいいから(もう25年もつきあってる)、その知性的な部分はよく知っている。そういう彼らでこういう感じなのだから、一般的にも孤島化してる人って多いんだろう。イイ・ワルイの問題ではなく、これって「国民全員が共通して話せる話題」が無くなっていく過程なのかもと思った。ここ20年で国民全員が知ってる流行歌が絶滅したように、ニュースも各世代別に細分化されていくのかも。
それにしても、所信表明演説より「のりPの初公判」の方に時間を大きく割いた民放は、国民が呆れてるのを少しは自覚した方がいいと思う。新聞(一般紙)はその点とても常識的で良識的な配分だった。「民放=扇情的なタブロイド紙・スポーツ紙」と位置づければまぁ納得行くのだけど(その場合「NHK=一般紙」か)、本当にその立ち位置のままでいいのだろうか。
