共通認識が揺らぐとき
2009年7月20日(月) 19:33:32
毎日少しずつ、大切に読んでいる「1Q84」。
ようやくふたつの月が空に浮かんでいるところにさしかかった。
村上春樹というのはすごい作家だと思う。
ふたつの月のところにさしかかったところで、ボクの中の「世の中と握っている共通認識」は相当揺るがされた。
ボクは世の中と「月はひとつである」という共通認識を取り結んでいて、何も疑っていない。
「1Q84」という本の中でもそうだ。村上春樹は我々がよく知っているちょっと前の日本の情景を丁寧に描くことで、読者の我々と「同じ世界に生きている物語」という共通認識を取り結んでいく。で、ある時突然それが裏切られる。「月がふたつ出ている」という「現実」がいきなり提示され、「世の中と握っている共通認識」すべてに疑念が発せられる。それをボクたちは見事に疑似体験させられる。
これは凡百の小説がそれを描こうと艱難辛苦してきた「異化」の鮮やかかつシンプルな提示だ。
登場人物の日常を丁寧に描き、わずかなほころびでジャブを打ちつつ、突然、共通認識の崩壊を鮮やかにボディにぶちこんでくる。そしてボクは見事にそのパンチを受け、揺らぎきってしまった。その後、何も信用できないままにストーリーを追わざるを得なくなる。それは「存在」への不安に直結しているから。
我々の「存在」は、その時代と組織(もちろん国やイデオロギーを含む)のシステムに内包された共通認識に大きく依存している。そのことに強烈に気づかされる瞬間。では、共通認識が崩れると「存在」まで崩れゆくのだろうか…。
もちろん、まだ一巻目の途中なので、今後「月」の意味も変わってくるかもしれないし、「異化」と見えたものも実は「異化」ではないかもしれない。でも、「ふたつの月」を中空に見た時点で、ボクはしばらく読むのを止めようかと思っている。この部分だけでたくさん考えないといけないことが出来てしまった。ちょっと処理する時間が必要だ。
どっかで同じような感覚に襲われたことがあったなと必死に考えてようやくわかった。映画「マトリックス」を初めて観たときに同じような感覚に襲われたっけ。共通認識の崩壊、という観点のみだけど。
