土曜日、旧友とふたりで
2009年4月19日(日) 19:01:43
大学時代のゼミの同期が「ゆっくりリラックスする土曜日でもどーや?」という企画をボクのために立ててくれ、昨日、彼の家で半日ゆっくりリラックスしてきた。
彼はボクのブログを読んでくれていて「人生があまりに余裕なくキチキチになっている感じ」を心配してくれ、「たとえば土曜日にワシの家がある国立に来て、半日だらだらと話をするとか、どーや?」と誘ってくれたのである。友達ってありがたいな。
誘ってくれたのは今年の1月初め。それはいいなぁありがたいなぁオメエとふたりで話すのも十数年ぶりだしなぁとは思ったが、その頃はこれまた極端にキチキチな人生だったので、「ありがとう! じゃ、たとえば春先は?」と返信し、「えー! えらく遠い先のことやなぁ」と呆れられつつ、あっという間にその3ヶ月が経って約束の昨日になったわけである。
国立(くにたち)は我が家からは遠い。1時間半くらいかかる。いつの間にか時間貧乏になっていたボクはその移動時間に少し腰が引けたが、「ま、思索したり読書したりにはいい時間だってば」と彼に諭された。思索か。そういやこの頃落ち着いて自分を見つめる時間も減っている。時間に追われ必死に働く毎日(まぁ今年はそういう毎日を敢えて選択したんだけど)。往復3時間、本も持たずiPodも持たず、もちろん仕事のことも考えず、ひたすら思索する時間に充てることにした。いざ考えはじめるとあっという間。
春の国立は美しい。駅まで迎えに来てくれた彼と話しながら「緑があるところはいいなぁ」とつぶやいたら「便利をとるか、緑をとるか、やねぇ」と。あぁ懐かしい彼の関西弁。
あらためて彼の顔を見ると髪の毛真っ白になっておる。お互い歳をとった。彼はわりと堅いタイプが集まるうちのゼミ(現代経済学専攻)では唯一かな、いろんな会社を自由に渡り歩き、現在では定職というものを持っていない。人から求められるままに日本中のいろんなプロジェクトに参加し、ソーシャルな活動を行って、超マイペースで立派に喰って行っているディレクター/プロデューサー。いい意味で浮世離れしたヤツである。そういえば奥さんもいい意味で浮世離れした音楽家(ロバの音楽座という古楽器系ステージ活動をしている)。そして彼らふたりが暮らす家も相当浮世離れしていた。ひと言で言うと「関西にあるインドネシア料理店」みたいだ(わかる?)。手作り感溢れ、小物も溢れ、ちょっとキッチュでちょっとファンシーでちょっと70年代的ヒッピー風。そして、こういう家の定番、お約束のようにネコがいる。まぁ犬よりはネコだろうなぁ、このふたりは。
昨日は奥さんが音楽活動で出張中とのことで、彼とふたりきり。
傍目からみたら50前のオッサンふたりだが、中身は学生とそうは変わらない。屋根の上に小さな見晴台があるので、そこで武蔵野に沈みゆく夕陽をセンチに眺め、それからシャンパン(やっぱり泡!)をあけて彼の手料理を食べつつ、青臭い話とか、ソーシャルな話とか、歴史の話とか。ゆったりした彼のペースに巻き込まれ、何も気を遣わず、たらたらぐだぐだ。ボクにはまったくそのつもりはないけど、やっぱり自分が生き急いでいるんだということを自然と思い知らされる。
あっという間に23時になった。家に帰り着くためにはそろそろ終電。
もっと話をしたいけど、名残惜しくはない。そこが旧友のいいところ。あっさりとお互いの人生に帰って行く。でもさ、それってなんというか、ちゃんと自分の人生をリスペクトして生きている前提があるからなんだよね。うまく言えないけど。そしてそれがお互いへのリスペクトにつながる。だからとてもあっさり別れる。だって会っていても離れていても同じだもん。しゃべっているのも黙っているのも一緒、みたいな意味で。
未来のどっかでちゃんと交差する点ができそうな予感を秘めつつ、そんではまた。数ヶ月後、数年後、もしくは十数年後に、また。
