第五三二回 紀伊国屋寄席
2009年4月15日(水) 6:49:23
大事な会議があり、予定していた夜の会食をキャンセルさせてもらったのに、その会議自体がドタキャンになって時間がポッカリ空いた。さてどうしようかと思っていたところにタイミング良く落語のお誘い。オヤそれは楽しそうっつうことで昨晩はふらりと寄席へ。
でも誘ってくれた人自身が急な仕事で来れなくなって、結局ひとりで聞いた。なんだか全体にキャンセルな流れの夜。でもひとりで気楽に聞く落語もまた良し。いろんな偶然がめぐりめぐって出会えた貴重な時間。
行ったのは紀伊國屋ホールの紀伊国屋寄席。
紀伊國屋ホールって、今を去ること30年前の高校時代に、当時傾倒していた森本哲朗の講演を聴きに行って以来かも。たぶんそうだ。いや、その後、野田秀樹の演劇も観たかもしれない。とにかくなんだか異様に懐かしい。
寄席は、二ツ目の台所鬼〆(落研のような名前だけど小さんがつけたらしい)の「二人旅」から始まって、古今亭菊之丞の「湯屋番」、林家木久扇の「道具屋」で仲入(出演予定の桂文楽が急病で林家木久扇が代演)。再開後は桂米助の創作野球落語「虹ムコウ」があって、トリが入船亭扇橋の「化物使い」であった。
圧巻は古今亭菊之丞の「湯屋番」かなぁ。もうダントツの面白さ&うまさ。初めて聞いたがすでにファン。菊之丞すばらしい。歌舞伎系の女形の声色使いも相当うまい。そのうえ枕からドカンドカンと笑いをとる。サビというか、番台での若旦那の独り芝居の部分なんかドッカンドッカン大笑い。いいなぁ。うまいなぁ。
あと印象的だったのが入船亭扇橋。あのふわふわ感がたまらないと人づてに聞いてはいたが、なんつうか志ん生と同じ方向に浮世離れしている。
噺の同じ部分を繰り返すので「やべ、筋を忘れちゃったのかも」とハラハラしながら聞いているとすぅっと戻ってきてハァァと安心させ、そうかと思うと大事な場面をすっ飛ばして「あれ?」と思ったら後から唐突に付け加えたり、と、淡々と素っ気ないけどその構造自体への不安がぬぐえないような花屋敷ジェットコースター的楽しみがある落語だった。有名な噺なので客は筋を知っている。だから少々繰り返しても飛ばしても客はびくともしないどころかそこを楽しんでいる。扇橋もそれを知っていてなんか「いい加減」にやっている感じ。そういう客との共有感を含めて芸になっている。
こういうのを「枯れた芸」というのかもなぁ。場馴れしすぎの乾燥感。この味は好きな人には堪らないかも。永六輔や小沢昭一の話も出てきて小三治の俳句ネタを思い出した。
なんか全体にバランスのよい寄席だった。ふわふわおっとり系とテンション高め系が交互に出てくる。そしてふわふわで〆だったのが抜群。
真ん中にやった林家木久扇(笑点の彼ですね)もかなりふわふわで、滑舌も悪く、声も出ていない。「おい、大丈夫か」と心配になる瞬間が何回もあった。でも要所要所でドカンと笑いを取るのはさすが。枕での林家正蔵師匠の思い出噺が爆笑ものだったなぁ。師匠がテレビでバスケットボールを観ていて「誰か言ってやればいいのに…」と震える声で独り言言っているから「師匠どうしたんですか?」と聞いたら「いえね、さっきから若い男が寄ってたかって網にボールを入れようとしているんだけど、網に穴が開いているんだよ」みたいな。ここに物まねや情景描写が入って異様に可笑しかった。大笑い。
台所鬼〆は演じ分けがもうひとつだったけど、若さに似合わず座掴みがうまい。ただ、なんだか少し閉じている。自分の部屋で練習しているそのままな感じ。そこから抜ければ真打ちなのかな。
桂米助(突撃隣の晩ご飯の人ですね)の野球落語は2039年のWBCを語ったのだけど、んー、なんだかちょっと作りが雑。30年後、長嶋一茂が巨人軍のオーナーをしていたり、ハンカチ王子がスカウト兼コーチをしていたり、WBCを率いるのがダルビッシュ監督だったりして可笑しかったけど、そういう配役での笑い以上のものがなかったかも。サゲも読めすぎかなー。新作落語って、長い年月で完成度が高められた古典の間に挟まるとどうしても雑に見えてしまう。寄席でやるのは勇気がいる。そういう意味ではたいしたものだと思う。
仕事がトラブル含みで予断を許さない状態なんだけど、こういう数時間のトリップが精神のバランス上大切みたい。抱えている仕事の案件数がとっても多いので予定を入れにくい分、こういう飛び込み系のお誘いは実にありがたい。誘ってくれた方ありがとう。来られなくて残念だったけど、また行きましょう。
