法事の意味
2009年3月 9日(月) 8:01:33
昨晩の「情熱大陸」(TEAM NACS)、舞台を観たばかりの人間にとっては異様に面白かった。
しかし大泉脚本、超ギリギリの上がりだったんだなぁ。公演初日9日前にモリと飲んだけど、そのときのモリのピリピリ具合の裏側がよくわかった。こりゃ胃が痛いわ(笑) というか、初日の模様が放映されていたけど、そこでのラストとボクが観たラストが違う。初日からずいぶん手を入れたみたいだな。いつ最終完成するのだろう。
昨日の日曜は法事だった。
母方の祖父の十三回忌と祖母の三回忌を兼ね、親戚が横浜に集まった。
若い頃は法事なんて意味ねえと思っていた。ご先祖を敬う気持ちは人一倍ある方だとは思うが、この忙しいのに別に親戚が集まって弁当食ったりビール飲んだりしなくてもいいじゃんと思っていた。各自が仏前で祈ればいいことだし、儀式も形式的なものだと思ったし、親戚のオジサンとかとビール飲むために半日つぶれるのももったいないとか思っていた。
でも、このくらいの年齢になると法事の大切さがわかってくる。
儀式としての大切さではなく、なんというか「集まって故人のことを強制的に思い出す」という「時間」が大切で貴重な感じがわかってくる。お寺やお坊さんや儀式や弁当やビールはその小道具として存在するだけ。儀式とか儀礼の意味って「わざわざそういう時間を共有するための理由づくり」だったんだ、みたいなこと。
若いころはまったくそっちの意味に気づかず、ただただ退屈に思っていた。
いや、「強制的に思い出す」ということの大切さは理解していたかな。でもそれは個人個人がすればいいことだと思っていた。でも、故人を愛する人々が集まらないと発生しない「想念」みたいなものってあるんだな。そんなことを思った休日。
