「大衆」から「個衆」「鏡衆」、そして「結衆」
2009年1月 9日(金) 6:52:48
昨晩は今年の講演初め。講演というかレクチャーかな。小規模でアットホームな会だった。
広告関係の方はおらず、流通やメーカーや商社の方が集まったビジネススクール。なので、広告の話を基点に、なるべく店頭や商品開発に応用できそうな話をしてみた。ここ10年くらいの生活者の変化とそれにどうやって対応するかをかいつまんで1時間15分で話し、あと45分は質疑応答。それぞれの現場でのお悩みやボク個人に対する質問。一番多かったのはやはり生活者へのアプローチというか調査の仕方みたいなこと。どうやってターゲットもしくは「欲しがっている人」に出会えばいいか、に皆さん悩んでらっしゃる。それがわかったらとっくに起業独立しているわけで、ボクももちろんわからないのだけど、ボクなりの答えを提示させていただいた。
未だ「大衆」という言葉が存在した時代のマーケティング方法から抜け出せないことが今の現場の一番の問題点なのだろうなとつくづく思う。「大衆」という大きな塊がどう動くか、を、マーケッターが脊髄反射的に追ってしまう。頭ではもう「大衆」の時代ではないとわかっていても、そういうやり方がカラダに染みついていて自然とそう動いてしまう感じ。
もちろんとっくに「大衆」の時代ではなく、「分衆」を経て「小衆」「個衆」を経て、いまではそーとーバラバラだ。
そして今の特徴は、バラバラだからこそ「結びつきたがる」「共有したがる」ということ(それを表した「鏡衆」という言葉もある)。
「大衆」の時代は「個」が重視され、個性あることを個人個人がしたがった。共有より個性。カタマリから抜け出したい欲望が強かった。でも今は逆。バラバラだからこそどっかでつながっていたい。わかりあいたい。この広いバラバラな砂漠の中で仲間を探し出したい。それがYouTubeでの発信やブログでの結びつき、ミクシィなどのコミュニティの発展やクチコミの強さにもつながっていると思う。
バラバラだけど結びつきたい。そんな時代に「大衆」が存在した時代のやり方は全く通用しない。
いままで通りの調査方法では「買ってくれる相手」を見つけられない。たとえ見つかってもいままで通りの一律表現ではなかなか伝わらない。老若男女に同時に伝えられたお茶の間も崩壊し、伝え方も細分化した。共有したがる個々の人々にアプローチするのは、大衆に向かって絨毯爆撃することに馴れた身には非効率的に見えるし、影響力も小さく見える。流行も小さくしか作れない。でもそれをしていかないと売れにくい時代なのである。
一方で、ここ数ヶ月、また状況が変化してきているのも感じる。
急激に加速する不況感と、それに起因する強い不安感によって、いままでバラバラだった人々がカタマリになりだしている匂いがする。言うなれば「結衆」に近い感じ(結びつきたがる感じと不安からの結集感と)。折しも不況でみんな外に出なくなり、大画面液晶テレビの普及もあって(個々の部屋で小さい画面を見るよりはリビングの大画面を見たいとなり)、お茶の間の復活も感じられる。たった数ヶ月で状況が大きく変化しつつある。そしたらまたやり方を変えないといけない。めまぐるしいな(笑)。でもボクなんか飽きっぽい方なので、こういう変化の時代はちょっと楽しい。
講演の後、懇親会。
お酒が入って和んだけど、どうしても席の周りの人としかお話できないのが申し訳なかった。
香川からこの懇親会だけのために上京した方がいらっしゃったんだけど、いきなりだったので話の接点が見えず、あまりお話し出来なかったのが特に申し訳なかった。ここ読んでらっしゃるかな。すいませんでした。
