ぼくたちは何だかあっという間に消費しちゃうね
2008年9月 3日(水) 6:43:26
昨日の夜、みんなで打ち合わせしながら「福田首相辞任」の話になった。
「でもさ、一国の首相が辞任するという大事件なのに、たった1日で、もうなんだか遠い出来事みたいだな」
「そうそう。なんか遠い」
「安倍さんの時はまだ謎があった分、興味が継続したけどね」
「今回は謎がない分、あ、そう、と頭の中の引き出しにしまってオシマイ、ハイ次って感じ」
「北京オリンピックなんかずいぶん昔みたいだ」
「昔だったら1ヶ月くらいはオリンピックの話してたけどなぁ」
「もう今頃その話してるのって相当ダメな感じだよね」
「福田さんの話題が『今頃感』あるくらいだからなぁ」
「明日の広告」でも書いたが、1994年から2004年までの10年で世の中に流れる情報量は410倍になった(総務省情報流通センサス報告書より)。
たとえば街を歩いていて10個の情報、看板とか人の顔とか音楽とかに接していたのが、たった10年で4100個に増えたということである。それに比してヒトが処理できる情報量は10年でほとんど変わっていない。つまり我々は9割9分以上の情報を処理できずスルーしていることになる。どんなに重要な情報もスルーせざるを得ない。そのうえ次々に新しい情報が押し寄せるので興味や関心が長続きしない。
その典型のような感覚だ。たった1日であの大事件がずいぶん過去になっている。年末によく「今年の重大事件」とかの特集をTVで見て「あれ? この事件って今年のだっけ? ずいぶん昔に思えるなぁ」とか思うことはみなさんもよくあると思うけど、その感覚が年々加速して行っているような感じ。
情報消費のスピードがどんどん加速し、スルーする情報も日々増えつづけ、物事のほとんどは他人事と化し、世間のたいていのことに無関心になっていく。なっていかざるを得なくなっている。
もちろん「自分」という情報も、あっという間に消費されていく。
そういう社会に暮らしている人間は自分の存在をどう位置づければいいのか。どう自我をキープすればいいのか。その辺に今起こっているいろいろな問題の根っこがある気がする。
