重窓
2008年6月10日(火) 7:53:21
約1年前にお会いした千宗屋さん(武者小路千家若宗匠)と再会し、彼が麻布に造った新しいお茶室「重窓」に招かれてお茶をいただいた。
「ちょうそう」と読む。軒とか庵とか呼ぶのと同じように、お茶室を「窓」と呼ぶこともあるらしい。マンションの一室の中にお茶室を造ったので窓が重なるという意味もある。由緒正しい名前ということだった。
朝いちに札幌から帰ってきて、仕事でも疲弊し、わりと疲れが出ていてボーッとしていた。
もう「お断りしようか」という体調だったのだが、千さんとお互いの予定を合わせるのに数ヶ月かかっており、しかも千さんは来月から1年間ニューヨークに行ってしまう。出発直前の慌ただしさの中で予定を開けてくれたのだ。うん、やはりお会いしたい、と出かけたのだが、お会いして良かった。鮨をご一緒したあとお茶室に招かれたのだが、彼が点ててくれたお茶をいただいたらなんか元気になっちゃった(笑)。現金なものだ。でも今朝の目覚めのさわやかさと言ったらない。
まず、マンションの一室「待合い」に入る。
ベランダから東京タワーがほぼ全身、間近に見える。すごい立地だなぁ。そこはソファが置いてある洋室で、品のいいバーのよう。床の間に模した一角もあり、真ん中には千さんが設計した立礼式のテーブルもあることから、最初はここでカジュアルにお茶をいただくのかなと思っていたくらい、静逸ないい空間であった。
茶室を含めたこの部屋のオーナーであるS氏(偶然、中高の後輩だった)や千さんのマネージをしている方々ともお会いし、ついでにボクの友人である編集者たちも到着して総勢6名揃ったところで、千さんがおもむろにクローゼットを開いた。
と、なんと、そこはクローゼットではなく、お茶室への隠し戸(!)
その「驚き」自体がもてなしなのだな、と気づく。
いったんくつろいだ気持ちがここで緊張とワクワクに変わり、探検のような気持ちで戸をくぐり、お茶室へ。
そこは天井が低い、京間の四畳半。ロウソクがゆらぐいきなりの異空間。もう入っただけで「あぁ」と溜息をつく感じ。実にくつろげるいい空間だ。弛緩して緊張してまた弛緩する。筋肉をストレッチするように心がストレッチされる。これも計算されているのだろうなぁ。
勝手がわからないボクたちをS氏が優しくリードしてくれたが、「正客」を務めることとなったボクは何事も一番にやらねばならず、またしても少々緊張。でもまぁ「ねばならない」を心から追い出して自然体でいることに。
全員が揃った後、千さんが入室してきて、まずはお菓子。その後「濃茶」の用意をしてくださる。
千さんの姿に慄然。目を閉じて心眼で茶器を扱っているのかと思うほどの半眼。火影にゆらめいて迫力あり。鮨屋での饒舌な青年の面影は消え、近寄りがたい空気が漂う。でもそれもボクにお茶を出してくれるまで。ボクがお茶を手にする頃から、ボクの右側から厳しい気配が見事に消えた。
お茶をいただいた瞬間は「この後の感想をどう言おう」という雑念に囚われてうまく味わえなかったが(ゆえに感想も中途半端になった)、隣のS氏に茶碗を渡し、ホッとした後、口の中の豊かな味に気づいた。濃いけどさわやか。深いけど淡い。「初夏らしく点ててみました」と千さん。なるほど。
その後、器の話、掛け軸の話、花器の話、茶道具の話など、さまざまに教えてくれる。
もうね、ここでそれぞれ書いていきたいくらいいい話が満載だったのだが、不調法で専門用語や固有名詞を知らず、うまく書けそうもないのでパス。
ひとつだけ書くと、それぞれの道具がすべてつながっていたことが(初心者のボクには)目鱗だった。
三途の川をモチーフとした掛け軸の淡い絵。その川はこちらに向かって流れてくるように描かれているのだが、絵の中から川が溢れ出てくることをイメージして、そこに舟の形をした花器を浮かべ(しかも千さんがNYに行くので出船の方向に浮かべ)、茶室にいる我々はその流れの中にいる。掛け軸の絵には遠くに霞む山も描かれているのだが「だから『遠山』の茶壺を使いました」と千さん。「今日は雨で霞んでいましたし」と。そういえば夕方、東京タワーも細かい雨に霞んでいたな。すべてつながっているのか。感心すると同時に弛緩しまくる。流れに逆らうようなインパクトを出そうとする広告表現の世界に普段いるせいか、この、大きな流れの中に同化するようなもてなしがひたすら心地よい。正座の足が痛いのも忘れるほど心地よい。
「この茶室は時間を忘れるんですよ」とS氏。
確かにねー。そういえばもう何時間ここにいるんだろう。会話がだんだん途切れ途切れになるのだが、気にならず、ひたすらボーッとする。お茶室の障子を開けると間近に東京タワーが見える。都会の真ん中にふわりと浮かんだ深山幽谷。違和感があるはずなのに、なんでここまで自然でくつろげるのか。
確かその後、待合いに戻って少し話をし、ありがとう、今度はNYで会いましょう、とか約束して千さんたちと別れて帰宅したのだが、その辺の記憶が曖昧だ。ボーッが続いていた感じ。いつの間にか自宅のリビングにいた。
で、ふと気づくと疲れが霧散していた。川の流れと共に流れて行っちゃったのかもしれないな。あぁこうやって流してやるのか。疲れって、とろうとか癒そうとか思わず、ただ流してやれば良かったんだとようやく気づいた。
