「博識」はたぶん死語になる…
2008年4月20日(日) 9:49:18
中学高校生のころラジオで聴いていて、一方的大ファンだった「かぜ耕士」さん。
さなメモでも何回か書いているが、1997年2月にこんなコラムを書いたことがキッカケで、こんなことがあり、いつの間にか親しくさせていただくようになった。ボクの人生の中の奇跡的な出来事のひとつ。だって多感すぎる中学高校時代に毎晩毎晩聴いてすごく影響を受けた人と後世で親しくなれるって、他の奇跡と少しニュアンス違わない? なんだろうな。中学時代に熱中した太宰治とその後親しく話せるようになった、みたいな感じ。ボクの中ではムツゴロウさんもそうなったんだけど(彼の著書「ムツゴロウの青春記」に熱中した中学時代をボクは持つ)、そういうのってやっぱり奇跡だ。
1997年2月っていったら、まだグーグルもなかったころ(グーグルは1997年9月設立)。ボクのサイトの中の小さなコラムによく辿り着いていただけたなぁと思うのだけど、逆に言うと個人サイトもいまほど多くない頃で(ブログという言葉の種すらなかった)、まだまだああいうコラムが少なかったことも幸いしていたのかもしれない。早く始めた者の余得かな、こうして親しくさせていただけているのは。
で、その後、彼の個人サイト「たむたむたいむ」を作るお手伝いをしたりしつつおつきあいを重ねさせていただいているが、その「かぜ耕士」さんが2ヶ月ほど前からブログを始めている。「レドンドの風」というブログ(かぜさんは西海岸の有名な避暑地Redondoに住んでいた時期がある)。
いや、何が言いたいかというと、このブログが面白いのである。
昭和50年以前生まれの映画やポップス好き、もしくは現在のアメリカのTVが好きな人には堪らないだろう。
以前からかぜさんが異様な「博識」だということは知っていた。
例えば「たむたむたいむ」内の「セコハン・ラヴ」なんか読むとちょっと驚く(特に下の方の蘊蓄)。でも、いざその一端にブログで毎日触れ始めると「ありえないなぁ」と毎日つぶやくこととなる。ひとりWikipedia状態。もちろん記憶のみではなく、手元資料などを調べながら書いてると思うが、でも、実際に生で彼の「博識」に触れたことのあるボクは、ブログでの資料的記述のほとんどが彼の記憶から出ていることを知っている。間違いがないように年月日の確認として資料を調べているだけだろう。
しかもかなり抑えて書いている。本当はもっともっと饒舌に語りたいはず。実際には映画スターたったひとりについて、そこから派生する様々な蘊蓄も含めて、平気で朝まで語り続けられる人なのだ。でも「毎日それをやると疲れて更新しなくなっちゃうから」という理由で、ブログではそーとー抑えているみたい。
ネットが出現し、常時接続やユビキタスが普通になり、検索でいつでもなんでも知ることができるようになった現在。
知識は外部化され、自分の内部に蓄積しておく必要がどんどんなくなっている。だって携帯とかで検索したらわかるんだもん、いちいち覚える必要がない。ひとりの中にある知識よりネット上の知識の方が圧倒的に広くて深い場合が多いんだもん、覚える努力がバカらしく感じられる。こういう意識の変化は人類にとってとても大きなことだと思う。
たぶん「博識」という言葉はそのうち死語になる。「知識人」という人種も絶滅するかもしれない。
知識を内部に持たずに果たして知恵が生まれるのか、もしくは知識の外部化という効率が個人個人の知恵を遙かに越える成果を生み出すのか、ということに関しては数十年後の人類が身をもって証明してくれるだろうが、少なくとも「知識を多く得る喜び」と「それに対する尊敬」が大きく変質するのは確かな気がする。
博識への敬意が減ると、知識への敬意も減る。
たとえば学校の先生・教授たちの博識にボクたちは最低限の敬意を持っていたが、検索が日常化した現在はどうだろう。知識なんて外部に持っておけばいい分、生徒たちの「先生の博識への敬意」は減ってるはずだ。知識的には「外部のWikipedia>先生の内部」なんだもん仕方がない。
そして、ネット上で手軽に得られる知識を適当に組み合わせてアレンジすると「知恵っぽい何か」にもなるので、「知恵」にすらだんだん敬意を持てなくなる。
ボクは「知識や知恵をより多く得ること=大人になること」だった時期が長かったので(教養主義的人生観)、人生の成長は知識の増大とどこか比例していた。それは「成長が実感しやすい人生」でもある。あまり悩みなく前へ進めた。いまの学生はそうはいかない。成長なのか退歩なのかも判断が難しいし、目標設定もしにくいだろう。
むぅ。「博識=尊敬すべきこと」という時代にギリギリ生きられてラッキーだったなぁ。知識や知恵を得ることが喜びとして存在した。楽しく成長を実感できた。
ボクたちは「内部化された知」の最後の時代にいるのかもしれないね。
かぜさんの、たった一人の内部から湧出してくる博識に敬意を覚えながら、ふとそんなことを思った日曜の朝。
