広告批評、休刊

2008年4月14日(月) 6:40:21

広告業界で働く人、もしくは広告に興味ある人にはお馴染みだった雑誌「広告批評」が来年4月で休刊になる。部数減少や赤字が理由ではないそうだが、だからこそ、広告業界にとってとても象徴的な出来事だと思う。

このニュースをしばらく前に聞いてとても感慨深かったのだが、考えてみたらここ5年、マス広告よりもメディア・ニュートラルなコミュニケーション・デザインの方向に仕事も興味も向かっていたこともあって、ボクはほとんど「広告批評」を読んでいなかったことに気がついた。たまに読むと違和感すら感じていた。もうマス広告の「表現」だけで生活者に届く時代ではとっくにない。広告自体がすでに大きく変わっている。なのに「広告の批評」という題名のこの雑誌がそこを無視してずっと「マス広告の表現」を中心に追い続けていたのは相当偏って感じられた。

ただ、結果的にそこにある種の「批評」は感じていた。
こんな時代なのに敢えてマス広告の表現中心に編集していたことに。
そういう意味では、休刊は「殉死」に近いのかもしれない。部数減少や赤字が理由でないのなら、彼らは潔く「マス広告の時代」と殉死したのだ。それはそれで見識だ。

なんだか明治と乃木希典の関係を思い出させる。
乃木希典が明治という時代に象徴的に終止符を打ったように、「広告=マス広告」という図式に象徴的に終止符が打たれた感じ。

人生を賭けるに足る仕事を真剣に探している学生たちは、時代の終焉と始まりを敏感に感じ取っている。
広告批評が主催する「広告学校」は、やはりマス広告の表現を中心に学ぶ場なのだが、受講生が年々加速度ついて減っていると聞く。マス中心と思われているトラディショナル・エージェンシーの志望者数も今年は明らかに減ったと聞いた。レベルも下がってきたらしい。有能な学生が他業界、もしくはネット系広告会社に流れているのだ。いままでは潜在的だったので目を伏せていられたそういう問題点が、明確に顕在化してきたということだ。

いいことなのだろうな。
こうしてわかりやすいカタチで顕在化しないと、広告の世界はなかなか変わらない。

中の人たちはまだまだ少し前の「マス広告栄光の時代」の殻を引きずっている人が多いし、変わらないといけないとわかっている人たちも、日常の作業に追われてなかなか変われないままに日々を過ごしている。この「広告批評」の休刊は、まさに「顕在化された明日」である。志望者減少も「顕在化された明日」である。スルーせず重く受け止めるべきだと思うし、もう猶予はない。

拙著「明日の広告」でも書いたように、別にマス広告が終わったわけではない。「広告=マス広告」という時代が終わっただけ。消費者本位に考えてコミュニケーションをデザインしていけば、まだまだ広告は力を持つ。問われているのは「脱皮」の早さだ。変わらなきゃ。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。

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