正しいことを言いだすと、決まって人は悪いことをする

2008年4月 9日(水) 8:49:12

さなメモで政治の話をあまり書かなくなって久しい。
1日のアクセスが1万を越えた頃から、政治についてコメントすると一定割合で超エキセントリックなメールが届きだし、ある話題について書いた時は家族の生命の危険すら感じた。いわゆる脅迫。「子供に気をつけろ」みたいな。

ボクが書いたのは、いま読み返しても普通の論説なのだが、違う意見を信じている人たちにとっては許せなかったらしい。エキセントリックなメールは時に人格攻撃につながり、無視しようと思っても精神的ダメージをかなり受ける。そういう原因はわざわざ作らない方がいい。だからめったに書かない。

ちなみにこれは「萎縮」ではない。ソリューションだ。優先順位を考えたとき、「サイトの更新継続>政治の話題」と判断しているだけ。つまり、更新継続が困難になるくらいやる気を失わせるメールが届くわけですね。

脅迫に負けて論を曲げる気はないし、いろんな意見があることは実に健全だとは思うが、たったひとりで不特定多数を相手にするのは無理だし、ひとりひとりとメールのやりとりをして議論するのも物理的に不可能。だからよっぽど強く説を主張したいときか、きっちり熟考した話題のとき以外、不用意に政治的な話題は書かないことにしている。

たま〜に新しい読者の方から「これだけ世間の話題になっているときにひとかけらも触れないのは救いようがない政治的無関心」というような言葉をいただくことがあるが、これからも数十年、死ぬまでサイトを継続させることを最優先させた方策ですので、ご勘弁を。人一倍関心はあるし、発言すべきと強く思ったときはまた別なので。

というか、ここ数年、「自分と合わない意見に過敏に反応する人」もしくは「自分が正しいと信じることを過激に主張する人」がものすごく増えた気がする。
この許容量の狭さ、もしくは「相手をやりこめてやろうとする情熱」みたいなものがあまりに行きすぎている場合は感心すらする。炎上するサイトを見ているとコメント欄はたいてい「謝罪しろ!」という叫びで埋まる。人格全否定の言葉も多数書かれる。
最近では奈良の「平城遷都1300年祭」のマスコットキャラクター問題がすごかったな。デザインした人のサイトのコーナー(いまでは閉鎖)は罵詈雑言・人格全否定の言葉で埋まった。その人の人生に対する敬意のひとかけらもない。なるほど「鬼畜米英!」で団結した国民なのだな、と、哀しい納得をしてしまう異様さであった。他人事ながらちょっと涙ぐんだくらい酷かった。

とはいえ「ボクは違うもんね、冷静だもんね」と言いたいわけでもない。

昨晩、ある美人さんの結婚決定祝いにボクを含めて男性3人が集まった。男性3人の中には同年代の参議院議員もいた。

食事している最中に彼の携帯に「日銀副総裁人事、不同意」の電話が次々入ったりして「おお、政治の現場だ〜」とミーハーに楽しんだのだが、ま、それはそれとして、彼はある政治的問題について委員をしていて、その問題についてディナーの間も議論になったのである。特にボクともうひとりの男性とで。その間、議員は黙って両方の意見に耳を傾けていた。

その問題についてそれなりに意見があったボクは、もうひとりの男性の言葉にちょっと過敏に反応した。
「何もわかっていない! というか、そういう意見はむしろ有害!」と一瞬にして頭に血が上ったのである。んでもって気づいたらきつめの言葉を発してしまっていた。発言したあとすぐに恥じたけど、基本的には「サイトにエキセントリックなメールをくれる人や、炎上サイトに罵詈雑言を書き込む人」に近かった(ま、それらよりはずいぶん柔らかいが)。同じことしてるよオレ。

久しぶりに自分の中のマグマの存在を再確認した。
うーん。不必要に丸まることもないけど、もうちょっとは制御できていると思っていた。まだまだ成長途上であることを思い知らされたな。

議員は、ボクともうひとりの男性の間に立って、両方の意見を汲み、落としどころをスッと提示した。
さすがに政治のプロだなぁ。そう、政治とは「妥協と落としどころ」なのだ。30代の頃は「政治とは理想の実現」だと考えていたが、まぁもちろんそれも建前上あるにせよ、無限に意見がある中でどの妥協点に落とし込むかが民主主義国家における政治の日常なのだ。


河合隼雄は「正しいことを言いだすと、決まって人は悪いことをする」と書いた。
山本夏彦は「まじめということはよいことだと思われているが実は悪いことなのだ。まじめと正義は仲良しだ、したがって正義も悪いことなのだ」と書いた。

正しいと信じること。まじめに考えること。正義を追い求めること。それらは狭量で不寛容で窮屈になりがちだ(戦時中の日本のように)。「妥協と落としどころ」を求めるのは一見醜く不細工な解決法だが(正しくまじめに考える人にとって政治はそう見えるだろう)、様々な人の多様な意見を許容する。

人生も年数を積んでくると、自分が正しいと思うことに妙な自信を持ち始める。妥協せず頑固にそこに固執しだす。その自信を常に疑う気持ちをキープしないとな、とか、行きすぎたまじめは悪いことなのだということを常に反芻していないとな、とか、いろいろ思った夜だった。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。

アーカイブ

同カテゴリーの他記事