時間の終焉

2007年12月31日(月) 15:32:18

2007という見慣れた数字の並びも今日でおしまい。明日からは2008。

2007年に亡くなった人は、ボクが学生だった時代に全盛期を迎えていた人も多く、わりと感慨深いことが多かった。これから訃報欄がもっともっと身近に感じられるようになるのだろうな。

個人的に感慨深かった順に挙げてみると、白井郁代(祖母)、村田靖夫(建築家)、阿久悠(作詞家)、池田晶子(文筆家)、オスカー・ピーターソン(ジャズピアニスト)、黒川記章(建築家)、土井甫(振付師)、熊井啓(映画監督)、カート・ボネガット(作家)、植木等(俳優)、石立鉄男(俳優)、イングマール・ベルイマン(映画監督)あたりか。

他にも鈴木ヒロミツ、木原光知子、坂井泉水、羽田健太郎、城山三郎、渡辺和博、西村寿行、小田実、河合隼雄、藤原伊織、安藤百福、横山ノック、稲尾和久、宮沢喜一、船越英二、北村和夫、三好京三、池宮彰一郎、黒木靖夫、パバロッティ、アントニオーニ、ベジャール、エリツィン……きりがないな。

今年は「死」について例年になくよく考えた年であった。
早々に池田晶子の死去があったからかもしれない。カントは「永遠というのは中断なく持続される人間のすべての時間の終焉でなければならない」と言っていて、なるほど死というのは「時間という縦の流れからの脱出して永遠を手に入れること」なのか、と、わかったようなことを思い、そうであるならば時間=人生である今の尺度で死をとらえることはできないし想像がつくわけもない、と、最終的に放り投げた。

死んだら天国に「行く」とか、無に「なる」とかいう概念も、時間の尺度に沿っている。時間経過がそこにあるからだ。死が「ひとつの時間から出て、別の時間に入る」のではなく、時間自体の終焉を意味するのであれば、時間という枠から出ることが不可能なすべての人間の思考や行動は死の前で意味をなさない。であるならば死に準備などいらない。突然来るものを受け入れて時間の終焉=永遠を体感するのみ。

と、この程度の思索でなんとなく終えているあたりがボクの詰めの甘いところなのだが、ちょっと死生観に変化があった2007年だったかも。刹那的になったのではなく、より深く覚悟が定まった感じ。

キザなこと言ってんじゃねぇよ、と思いつつ、いろいろ考える楽しさに浸る2007年大晦日。みなさん、今年もこんなサイトにおつきあいいただき、どうもありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。

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