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「ハンナとその姉妹」

ハンナとその姉妹

Hannah and Her Sisters

Woody Allen
Woody Allen, Barbara Hershey, Carrie Fisher, Michael Caine, Mia Farrow, Dianne Wiest, Maureen O'Sullivan
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1986年製作
107 minutes

製作・・・ロバート・グリーンハット
監督・・・ウッディ・アレン
脚本・・・ウッディ・アレン
撮影・・・キャロル・ディ・バルマ
編集・・・スーザン・E・モース
キャスト・ウッディ・アレン
ミア・ファロー
マイケル・ケイン
ダイアン・ウィースト
バーバラ・ハーシー

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この映画の中で何回も印象的に使用されている「I've Heard That Songs Before」というスタンダードを探してCD屋を歩き回った記憶がある。

この曲の邦題が「いつか聴いた歌」であることは、和田誠がスタンダードについて書いたまさに「いつか聴いた歌」という題名の本から知っていた。その中でこの曲について「ヘレン・フォレストの歌で有名になった」とは書いてあった。でも「この映画で使われたバージョン」が欲しくてレコード屋を探し回ったのだ。

だって、この映画の中で繰り返し使われているのは演奏もの。だからインストゥルメンタルだと思っていたのだ。
ロールタイトルで示される楽曲のクレジットでも歌手の名前はなく演奏者のみ。だからボクはその演奏者のCDを探し続けていたのだ。
で、結局見つからずにあきらめて、ヘレン・フォレストをとりあえず買おうと思ったら、これまためったに置いていない代物。輸入版のCDでやっとこさ見つけだのだ。クリス・コナーとのカップリング物だった。

ハァやっと見つけたなぁ、てなもんで、とりあえず1曲目の「I've Heard That Songs Before」を聴いたら……なんと!コレを使っていたのだったのだ!

ウッディ・アレンは映画の中でこのながーい前奏の部分を使用していたわけ。ヘレン・フォレストの歌が始まる前まで。なんだなんだ。それならそうと言ってくれ〜!


え〜と、枝葉末節の話から入ってしまいましたね。

この映画は、そこで使われている音楽をこうして探しまくるくらいのフェバリットなわけです(ちょっと強引)。
でもそうだな、いまのところ生涯ベスト10に入るな。そのくらいは好きな映画。
日によっては「ガープの世界」の次、つまりベスト2の位置をキープするくらい好き。


どこがそんなに好きかって?

まず「常識的にはおぞましい人間関係をごく自然に見せるその温かい描き方」が好き。
この映画に関しては、ウッディ・アレンの人間に向ける目はたいへん温かい。
一見正常そうな家族だがよくよく覗いてみるとおぞましい。でも彼の映画の中ではそれがごく自然に見えるから不思議だ。それは彼の温かい目があるからだろう。冷たい目によって描かれたら「現代に潜む病巣を的確にえぐった」などとマスコミに書かれてしまうような単なるスキャンダラスな映画になるところだ。

次にその「全体に漂うアナログ的な雰囲気」が好き。
ビスコンティの「家族の肖像」を思わせる(意識していると思う)落ち着いた大人の雰囲気だ。照明がうまい。ヨーロッパ的だ。選曲も渋くアナログっぽい。そしてまったくあかぬけない登場人物たち。これらが混ざりあって独特のアナログ感を醸し出している。最先端医療の現場すらアナログっぽく見えるから面白い。

細かい場面・演出・演技もいろいろ好き。
マイケル・ケインが妻の妹にドキドキし待ち伏せする描写。うまいのなんの。共感してしまう。男の気持ちが、そして不様さがよくでている。
TVの現場のステロタイプな描き方。舞台であるニューヨークの寒々しい描き方。病院でのアレンの恐怖の描き方。音楽の効果的使い方と選曲……要は好きな場面が一杯ある映画なのだ。


そしてそして。
その底流に流れる「人生も捨てたもんじゃない。いろいろあるんだから楽しめばいいんだ」みたいな気分が好き。

まぁこれは主題に近いんだと思う。
人生の混沌を愛しているウッディ・アレンがとてもよく出ているのだ。ウッディ・アレンの映画って基本的に好きなのだけど、これはその中でもシニカルでない真っ正面を向いた演出なのだ。観ている人を煙に巻くいつものアレンがここにはいない。

ウッディ・アレンって、どこか寺山修司みたいなインチキ臭さを感じませんか?

「ボギー、オレも男だ」や「スリーパー」の頃の彼はどうも寺山修司に重なってしまって、ボクには辛かった。「アニー・ホール」あたりもそう。まだシニカルで小手先っぽくて知性のひけらかしぽくてニセモノっぽい。
でも「カイロの紫のバラ」そしてこの「ハンナとその姉妹」あたりからぐっと良くなった。ミア・ファローと出会ってからだろうか。ある種の品が出てきたと思う。より正攻法の映画になってきた気がする。理屈が少し後ろにいってバランスが良くなったのだ。

それが結実しているのがこの映画で、誠に「混沌」がよく描けている。そして「混沌こそ人生。捨てたもんじゃないでしょ」という主張が気持ちよく心に入ってくるのだ。


まぁ彼自体なんだか犯罪的行為で訴えられたりしているように混沌なのだけれど、それを映画の中で好んで表現するところが面白いよね。映画という表現手段を使って自分自身の「言い訳」をしているような気もする。


最後に。

ふと登場人物たちを振り返ってみてちょっと愕然としたのは「ボク自身の中に、すべての登場人物たちがいる」のに気が付いたこと。

心配性で視野の狭いウッディ・アレンも、何事の完全にこなそうとするミア・ファローも、自分に自信がなくて行き当たりばったりに生きているダイアン・ウィーストも、他力本願で流されやすいバーバラ・ハーシーも、優柔不断で小心で自己満足的なマイケル・ケインも、自分のことしか関心がなくて小さい世界に閉じこもっているマックス・フォン・シドーも……他のあらゆる登場人物にも、自分を見てしまう。

これは、この映画が、特に脚本がとても良く出来ていることを示しているのだが、とりあえず登場人物に共感させ、自分の中の「混沌」に気付かせ、その「混沌」を愛させてしまう……。
さすがウッディ・アレンなのだ。

そう、混沌こそ人生。捨てたもんじゃない!

そうしてボクも、自分の中の「混沌」をひそかに愛し始めるようになったのです。


【1997年10月記】

1997年10月01日(水) 19:42:18・リンク用URL

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