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「フォロー・ミー」

フォロー・ミー

Follow Me

Carol Reed
Mia Farrow, Topol, Michael Jayston, Annette Crosbie

1972年製作
93 minutes

監督・・・・キャロル・リード
製作・・・・ハル・B・ウォリス
原作・脚本・ピーター・シェーファー
撮影・・・・クリストファー・チャリス
音楽・・・・ジョン・バリー
美術・・・・テレンス・マーシュ
キャスト・・ミア・ファロー
トポル
マイケル・ジェイストン
マーガレット・ローリングス
アネット・クロスビー


可愛らしい映画である。

不思議にマイナーな雰囲気が漂う映画で、ジョン・バリーのあの大名曲がなければもっと地味に埋もれていっただろうと心配になるくらいであるが、この映画を好む人にとっては絶対忘れられないような、そんな小品。

例えば、周防監督の映画「Shall we ダンス?」の探偵事務所の壁に「フォロー・ミー」のポスターが貼ってあったのを見て、「お、周防さん、アナタも好きですか! 渋いですねぇ」と嬉しくなってしまうような。
それに気付いた観客の肩を叩いて「あの映画、いいよねぇ〜」と長々話したくなるような。

なんちゅうか、心の中に静かにしまって鍵をかけておきたくなるような、そんな「共通の秘密」感が漂う可愛らしい作品なのです、この映画は。


ストーリーはわりとユニーク。
マイナーな映画だから、ちょっとだけ説明すると・・・。

非のうちどころのないイギリス紳士であるチャールズ(マイケル・ジェイストン)が、育ちも趣味も価値観もぜんぜん違うヒッピーのベリンダ(ミア・ファロー)と恋に落ち、結婚。ところがいざ一緒に暮らしてみると、妻であることを押しつけるチャールズと自由であることが大事なベリンダの価値観の違いがどんどん大きくなってきてふたりの関係は壊れ始め、ベリンダは日毎に無口になり、毎日朝早くからひとりでどこかに出かけ、夜遅くまで帰ってこなくなる。
そんな妻の様子に浮気を疑ったチャールズが、探偵(トポル)を雇って妻を尾行させる。浮気するでもなく毎日ひとりでただ街を歩くだけのベリンダの尾行を続ける探偵。
そのうちベリンダに不審がられるようになるのだが、彼女はどこにでも無言でついてくる彼の中に自分と同じを何かを感じとり、次第にふたりで歩くことが楽しくなっていく。
ロンドン市内を一言も言葉を交わさず、お気に入りの場所を教えあいながら歩き回るふたり。目と目だけで語り合うふたり。
その関係はいつかチャールズの知るところとなる。ベリンダも彼が夫の雇った探偵であることを知る。そして怒ったベリンダは家を出る。
探偵に詰め寄るチャールズ。彼はまだベリンダを愛しているのだ。探偵はベリンダを探しだし、彼女も本当はチャールズを愛していると知る。そして探偵はふたりにひとつの提案をする。それはロンドン市内を歩き回るベリンダに、10日間、チャールズがひたすらついて歩くこと。一言も言葉を交わさずただついて歩くこと。彼女を見て、歩くこと・・・。


はは。ほとんど説明しちゃったよ。
でも大丈夫。筋を知っていても十分感動できる映画だから。いや、二回目三回目の方が感動できるかもしれない。
ロンドン市内の名所を次々に見せてくれる探偵とのデートの場面で流れるフォローミーの主題歌。
ここでなんとなくグッときて、ラストの音楽でだめ押しの感動がやってくる感じ。わりと泣けるんだよなぁ、この映画。術にはまっている感はあるんだけど、でも、不思議にちゃんと泣けてしまう。

それはやっぱり「フォロー・ミー」という歌の文句が、心に効くからなんだろうと思う。

フォロー・ミー・・・ただ、私について歩いてきて。そして私をちゃんと見て。私個人をちゃんと見て。妻という肩書きではなくて、家の中にいる存在ではなくて、ちゃんと「自由な私そのもの」を見て。

ベリンダは、ひと言も言葉を交わさずただついてくる探偵と、心を通わせる。

そう、言葉を交わさないということは、肩書きもいままでの人生もまるでわからないということ。
彼女自身をただ見て、感じてくれているということ。

1970年代前半というヒッピー全盛の時代背景もあるんだけど、そういう「自由な一個人同士な関係(publicな関係)」こそ、彼女が求めたものでもあったのだ。

それに気付かず、チャールズは「夫」であろうとし、ベリンダに「妻」を求めようとした。

ラスト。
ロンドン市内を自由に歩き回る彼女に無言でついて歩くチャールズは次第に気付いていく。
結婚して以来、ちゃんと「彼女」を見ていなかったことに。
そして、だんだん、喜々として彼女の後ろを歩くようになる。彼女だけを見ながら。


この映画、イギリス公開時の原題は「Follow me」なんだけど、アメリカで公開したときはなぜか「The Public Eye」って題名にしたんだよね。
これは探偵という意味の「The Private Eye」にひっかけつつ、「publicな視点」つまり「公衆の中の自由な一個人として見て欲しい」というベリンダの想いを説明しているのだとボクは思う。

チャールズは「privateな関係性の視点」で結婚後の彼女を見ていた。つまり「妻」として・・・。

アメリカではそこらへんをちゃんと説明した方がいいと思ったのかな。

ボクは邦題でもある「Follow me」の方が好きだけど。




あー、でもこうやって理屈っぽく観る映画ではなくて、歌や雰囲気からそういうのをなんとなく感じるくらいな「のほほんさ」がこの映画のイイトコロでもあるんです。
それは怪優トポルの存在が大きい。
例えばこの探偵役をチャールズ・ブロンソンがやってもはまると思うんだけど、ああはコミカルにならず、ちょっと説教くさくなるかもしれない(って、本当はブロンソンがやった方が後世の評価は高くなったと思っているんだけどね)。
トポルはイスラエルが生んだ最大の俳優とさえ言われる名優(ブロードウエイで「屋根の上のバイオリン弾き」の主役をやり絶賛された)なんだけど、必要以上にこの映画をのほほんなものにしてしまったかもしれない。

だいたい全体にキャスティングも撮影も編集も美術も、「落ちた偶像」「第三の男」「オリバー!」などで知られるサスペンス映画の巨匠キャロル・リード監督の最後の作品と思えない「のほほんさ」があって、この映画を微笑ましくはしてくれているんだけど、ちょっと残念にもしているのは確か。

なんちゅうか、当時としてはある意味「ヒッピー」におもねった作品でもあるのだろうと思うな。
結局キャロル・リード監督は若い世代へのおもねり方がわからず、ちょいと中途半端なキャスティングと演出をしてしまったような気がする。

ただ、ミア・ファローは「ヒッピー上がりのベリンダ」をとてもよく演じている(最初のキャスティングはジュリー・アンドリュースだったらしい。むぅ。違うだろうよ)。
ビートルズとインドでマハリシの教えを受けたミア・ファローにとってはある程度「地」でもあったんだろうけど、ね。




最後に彼女のセリフをふたつ(うろおぼえだけど)。

「結婚は目的地じゃない。たどり着いたら二人ともパスポートを捨ててしまうなんておかしいわ」
「昔の関係に戻りたいんじゃない。私は進みたいの」

なんというか、結婚前と後では感じ方がずいぶん違う映画かもしれない。

可愛らしい映画だけど、結婚後の人にはちょっと身につまされる映画でもあったりするのです。




p.s.1
原作・脚本は、7年後にアマデウスを書くことになるイギリスの人気戯曲家ピーター・シェイファー。
ストーリーテリングのうまさはさすが、だよね。

p.s.2
日本ではDVDもビデオも出てないようです。
それどころか、アメリカでもイギリスでも出てないようだ(2006年現在)。こんな名作を…。信じられない。

2000年08月01日(火) 12:39:29・リンク用URL

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