トップ > 座右のCD > ポップス > ビリー・ジョエル「ニューヨーク物語」

ビリー・ジョエル「ニューヨーク物語」

Turnstiles
Billy Joel
1976年録音・CBS/SONY

amazon


数あるビリー・ジョエルのアルバムの中で一番好きなのはやっぱりコレかなぁ。

彼が元来持っていた「繊細さ」「叙情性」そして「ちょっと斜に構えた気分」が、このアルバムに一番出ていると思うのです。

ポップになりすぎていないし、都会の哀愁を気取ってもいないし、善人を演じてもいない。

等身大のビリー・ジョエル。

このアルバムが彼自身のプロデュースということも影響あるでしょうね。
この翌年に出したアルバム「ストレンジャー」からはあのフィル・ラモーンにプロデュースを頼んでいきなり「大ポップス歌手」に変身してしまうわけで、誤解を恐れずに言えば「まだ汚れていないビリー・ジョエル」とも言えるかもしれません。

もちろん「ストレンジャー」以降のアルバムも好きですよ。
「ストレンジャー」は高校2年生の時に少ない小遣いためて買った思い入れ深いLPだし、「ニューヨーク52番街」はニューヨーク来訪時に52番街を歩き回ったくらい好きなアルバムだったし、「グラスハウス」も「ナイロン・カーテン」も「イノセントマン」も飽きるほど聴いたし、好きは好き。
でもボクが考える「ビリー・ジョエルっぽさ」があるのはこの「ニューヨーク物語」。
適度にメジャーで適度にプライベート。いろんな意味で彼の原点だと思っています。

それ以前のアルバム、「ピアノマン」と「ストリートライフ・セレナーデ」の2枚もかなりビリー・ジョエルっぽい。(その前の「コールド・スプリング・ハーバー」はちょっと気取りすぎ。というかマイナーすぎ)
特に「ストリートライフ・セレナーデ」は「ニューヨーク物語」とどちらを取り上げようか迷ったほど好きなアルバム。「ルート・ビア・ラグ」や「スーベニア」なんか本当に大好きだしアルバム全体の構成もこじんまりしていて良いんですよね。
「ピアノマン」は良い曲が多いアルバムではあるんだけど、トータルアルバムにしようとしてちょっと中途半端な出来になってしまった感があります。



ボクとビリー・ジョエルの出会いは高校1年の時。
ラジオから流れてきた「ピアノマン」を一発で気に入ってレコード屋に探しに行ったらこの「ニューヨーク物語」しかエサ箱に置いていなかったんですね。それをなぜか鮮明に覚えています。「なんだか格好悪い奴だなぁ、ビリー・ジョエルって。悪人顔だし」っていう第一印象と共に。
このジャケット、あか抜けなくて妙に印象が強いんです。
結局その時は買わなかったんだけど、「ストレンジャー」を翌年に買って、そのあと「ニューヨーク52番街」を買ってそれからやっと「ニューヨーク物語」を購入するに至りました。

買った当初は「なんだか地味だな」と、買ったのを後悔したくらいなんだけど、聴き続けるほどにプライベートな味が出てきて、「夏、ハイランドフォールズにて」や「ニューヨークの想い」や「怒れる若者」などをいろんな季節に聴きたくなります。ビリー・ジョエル自身もかなり気に入っているアルバムのようだから、やっぱり彼自身が深く投影されたアルバムなのでしょうね。


それと、これはボクが勝手に思っているだけなんだけど、このアルバムは彼にとって会心の作だったのではないかと思うのです。
彼はもともと単純な愛の歌ではなくて「人生」を歌いたい傾向にありました。
そして「いろんな人生をひとつのアルバムに歌いこみたい」という欲求が初めてかなったアルバムがこれではないかと思うのです。

彼のアルバムを少し聴けばわかるんだけど、彼はビートルズの影響を深く深く受けています。
それも前期の単純な愛の歌ではなくて、後期の、例えば「エリナ・リグビー」や「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」みたいな「いろんな人生の諸層を描いた歌」にかなり影響を受けている。
ラッキーにも自分でアルバムをプロデュースすることになった時、彼はまずそういう曲でひとつのアルバムを構成できないか、と考えたんだと、ボクは想像するのです。

それはジャケットに一番良く表われています。
そこに映っているのはすべてこのアルバムに登場してくる人生達。
虚飾に生きる人、怒れる若者、がり勉の青年、ダンスに夢中の少女、旅に出る青年、そして老人と子供・・・ニューヨークの地下鉄の改札(Turnstiles)でそれらの人生達が交差する一瞬。


これこそ彼がやりたかったことなんですよ。きっと。
それらをひとつのアルバムに閉じ込める作業。

そしてそれに成功した確かな手ごたえがあったからこそ、割り切って次の段階に進めたんだと思います。



詩情から市場へ。
御大フィル・ラモーンをプロデューサーに迎えて、それは豊かに花開いたのです。



さて。
ボクにとってのビリー・ジョエルもこのアルバムでひと区切りついています。このアルバムまでは「吟遊詩人」。これ以降は「大ポップス歌手」。


「ストレンジャー」以降はポップでご機嫌なナンバーって奴を聴かせてくれればもうそれで大満足、っていう存在だったんです。
でも、98年3月28日に久しぶりにコンサートで見た彼はまた少し変わっていました。

一言で言えば「イタリア人」になっていた。

顔はよく言えばジャン・レノだったし身体は太ったパバロッティ。で、弾き方から歌い方、その陽気さ、身振り手振り、音楽の楽しみ方みたいなものまですべてイタリアしていました。



「吟遊詩人」から「大ポップス歌手」を経て、ついに「イタリア人」へ・・・



すごいやっちゃなぁ〜!

ボクはビリー・ジョエルを見直しまくり、そしてこの小文を書いています。
いい風に成長している。
究極の成長の仕方かもしれない。

まったく舌を巻くようないいオヤジになっていた・・・

新しいアルバムがとても楽しみになってきたのでした。




最後にボクが選ぶビリー・ジョエル「ベスト10」をしてみましょう。やっぱり初期の曲が多くなってしまいますけど。だってボクの中では彼はいまでも「繊細で叙情的で、ちょっと斜に構えた青年」なんですからして。

1. 「スーベニア」
2. 「ピアノマン」
3. 「アレンタウン」
4. 「ルート・ビア・ラグ」
5. 「素顔のままで」
6. 「シーズ・オールウェイズ・ア・ウーマン」
7. 「ウィーン」
8. 「ニューヨークの想い」
9. 「プレリュード/怒れる若者」
10. 「夏、ハイランドフォールズにて」

次点に「キーピング・ザ・フェイス」とか「アップタウン・ガール」とか「プレッシャー」とかが入ります。あ、「イタリアンレストランで」も、かな。



【1998年4月記】

1998年04月01日(水) 21:01:15・リンク用URL

ページの先頭に戻る

メニュー

Follow satonao310 on Twitter @satonao310

satonao [at] satonao.com
スパム対策を強化しているので、メールが戻ってきちゃう場合があります。その場合は、satonao310 [at] gmail.com へ。

ページの先頭に戻る

Google Sitemaps用XML自動生成ツール