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キャノンボール・アダレイ「サムシン・エルス」
Somethin' Else
Julian "Cannonball" Adderley
1958年録音/東芝EMI
Miles Davis (trumpet)
Julian "Cannonball" Adderley (alto sax)
Hank Jones (piano)
Sam Jones (bass)
Art Blakey (drums)
「秋の夜長」と人は言います。
でも、はたして秋の夜は本当に長いのでしょうか?
冬の方が夜は長い。しかし「冬の夜長」とは絶対に言わないですよね。秋の夜には、冬の夜より長く感じさせる何かが、存在するらしいのです。
ではそれはなんでしょう。
それはきっと「夏の反動」なのだと思います。
軽薄で自己中心的な夏が終わると人はその反動で内省的になるのです。内省的でセンチメンタルで、時には涙がポロリ。
夏を懐かしむ気持ち。でも夏には戻るのはかったるい想い。
そして、楽しかった夏が終わってしまうようにこの人生もいつか終わってしまうのだなぁという諦観、もののあはれ、吉田兼好、鴨長明……
日本の秋の夜が濃密で内省的なのは、そんな精神的な「夏」への反動が主原因だとボクは思います。
そりゃ長いのも無理はない……。
そんな秋の夜長(これを書いているのは1997年10月末)、皆様にはいかがお過ごしでしょうか?
いや、こんな時候の挨拶をしている場合ではない。
「サムシン・エルス」について書かなければいけないのでした。
でもね、実は、このアルバム、聴きどころは「夏と冬の間としての秋」、だとボクは思っているのです。(ほら、長いフリに話がつながるでしょ?)
え? 1曲目が『枯葉』だからかって? まさか、そんな単純な話ではありません(といって複雑でもないのだけど)。
この「サムシン・エルス」の名作度についてはもうここで語る必要はないでしょう。
史上屈指の大名作だと誰もが言うし、ボクもそう思います。長年聴き続けた大「座右のCD」です。そう、ずっと聴き続けた。もうかれこれ15年以上聴き続けた。
で、何年か前のある日、ボクがこのアルバムのどこを楽しみに聴き続けているのか、に気がついたのでした。
ボクは「夏と冬の攻防」が楽しみでこのアルバムを聴き続けていたのです。
夏が押せば冬が押し返す。冬が冷たい風を送れば夏がそれを温めなおして送り返す。
ごめん、比喩ばかり使って。簡単に言うとこういうこと。
夏(ホット)を忘れたくないキャノンボールと
冬(クール)であり続けたいマイルス・デイビス
熱くファンキーなサックスと冷涼でもの悲しいトランペットが、ちょっと見には仲よしに、実際には反発しあってやり合っているのです。そしてボクはこの2人の攻防が面白くて聴き続けていたのです。
もちろんサム・ジョーンズのごつごつしたベースも秀逸だし、アート・ブレイキーの珍しく上品なブラシもすばらしい。ハンク・ジョーンズの、何か「迷惑にならないように」って感じでちょっと引いて弾いている哀愁感もなかなか味がある。
もう名手がそれぞれの味を出し切った凄さがここにはある。
だけど、だけどやっぱりこの2人のやり合いが面白いのですね。
周知のようにこのアルバム、キャノンボール・アダレイのリーダー作という形を取っていますが実際はマイルス・デイビスのリードで出来上がっています。で、格から言ってもマイルスの方が断然上だし、キヤノンボールは売れてきていたとはいえまだまだオコチャマ・レベルなのでした。
でもリーダー作だから彼は必死にマイルスの物悲しげなミュートに反抗します。
ボワンボワボワと熱いアルトサックスを吹きまくる。が、そこに、それに舌打ちするようにマイルスが冷たくミュートで割り込むんですね。「おーい、リーダーは俺だよう!俺を立ててくれよう!」というキヤノンボールの悲痛な叫びが聞こえてくるようです。
だいたい作風が違いすぎます。
ファンキーで熱い持ち味のキャノンボールと、クールで美しく泣かせる(当時の)マイルス。
だからアドリブの受渡部分なんて聴いているこっちがニコニコしてしまうくらいガンを飛ばしあっています。まぁ圧倒的にキヤノンボールが負けているのだけど。
日本人ならここで上手にバランス取ってお互いに歩み寄るところ。
だからだめなんだろうなぁ、日本人って。
さて、秋の夜長。
夏と冬のせめぎあいをゆっくり聴くのもなかなかオツなものです。
久しぶりに、「サムシン・エルス」でも、どうでしょう?
え? 聴いたことない? いや〜これは必聴ですよ。 あしたの朝、すぐCD屋へ走りましょう!
【1997年2月記】
1997年11月01日(土) 20:21:34・リンク用URL
@satonao310