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さだまさし「帰去来」

Kikyorai
Sada Masashi
1976年発売 ワーナー・パイオニア

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「風見鶏」にするか、この「帰去来」にするか、はたまたグレープ時代の「わすれもの」「せせらぎ」「コミュニケーション」のどれかにするか……などなど、ちょっと迷ったのだけど、さだまさしのエッセンスは、実はこの「帰去来」に入っていると思うので、これを取り上げることにしよう。

といいつつ、実際に聴くのは「風見鶏」の方が多かったりするんだけどね(だって完成度高いし)。

ただ、「風見鶏」「私花集」あたりを境にして以降、彼は自分の弱さを正面から歌うのをやめて、上手に客観するようになっちゃったと思う。
客観するどころか、ちょっと弱い人がんばれ系応援歌まで入ってきちゃった。
というか、彼自身が「強く」なったのだろう、その強くなった過程をみんなに教えたくて仕方がない感じ。それにとどまらず、大きな愛までテーマを広げてすっかり「強い人」になっちゃった。

彼はある時期から「もっと直接的に言わないと伝わらない」と焦ってしまったところがあって、いままで周辺状況を丹念に描くことで伝えてきた主題を、直接歌詞に乗せて歌いはじめたのだ。

いや、それが悪いと言うのではない。立派なことだし、正面切ってそういうメッセージを歌うことは実は勇気がいる行動。

でも、ボクは、自分の弱さに正直な、マイナー思考の、初期の彼が好き。

そして彼の本質はそこだとも思っている。


グレープを解散して最初に出したソロアルバムである「帰去来」。
ここにはさだまさし本来のマイナーさとこれからメジャーに飛躍しようとする予兆みたいなものが上手に交ざっている上に、なによりシングル「雨やどり」を出す前なので妙な勘違いもない。そこらへんをすべて含みで、この「帰去来」には彼のエッセンスが詰まっていると思うわけです。




話は変わるけど、さだまさしって、文学者で言うとちょっと宮本輝に似ていない?

幼児体験から来る(と思われる)湿っぽい日本の叙情を大切に大切に描いているうちに、そのウェットな内面を克服したくなっちゃって、美しい旋律(文体)を活かして力強くも妙に乾いたものを描き始め、しまいには人生応援歌になっていってしまう感じがなんとなく。
女性からの支持が大きいのも彼らをそうさせた原因ではあると思うのだけど、でも宮本輝の糟糠のファンはやっぱり「泥の河」や「蛍川」、「錦繍」が好きだったりする。

ちょうどそんな感じで、ボクもさだまさしは「精霊流し」、「ほおずき」、「無縁坂」、「縁切寺」、「僕にまかせてください」(クラフトへの提供曲)、そして「線香花火」、「転宅」、「飛梅」……みたいな一連が好きなんだよね。

日本的ウェットな情景の中での小さな不幸。
こういうのを歌わせたら彼の右に出るものはいないのだ。


反面。
「朝刊」「雨宿り」に代表される、日本的予定調和っぽいニューファミリーの小さな幸福。
「童話作家」「第三病棟」に代表される悲しみのファンタジー化。
「関白宣言」「案山子」に代表されるイイヒト・コンセプト。
「もうひとつの雨やどり」「主人公」に代表される説明しすぎのメッセージソング。

……なども、美しいメロディラインも相まって彼の真骨頂ではあると思うのだけど、ボクにはどうにも居心地が悪い。
育ちの良さやイイヒトを前面に押し出しすぎているんだろうな。どこかで「うそー」って思っちゃう自分がいる。

「防人の詩」や「道化師のソネット」みたいになってくると、「うそー」を通り越して、ほとんど「警戒」に近い感じ。
こういう感じがタモリなどにいじめられたりする原因だろう。育ちがいいのもメッセージが正論なのもわかるけど、それをその声で歌い上げられると、聴いている方はなんか逃げ場がなくて困ってしまうのだ。
そこらへんにさだまさしはちょっと鈍感かも。


そう、彼は器用すぎるんだろうな。
どんなパターンでも軽々と作っていく。
そんでもって心配性。
美しいメロディとほんのワンセンテンスのキラー歌詞で、ヒトにはしっかり伝わるものなのに(井上陽水が良い例だ)、わからないかもしれない、と、情景を描きすぎ、説明をしすぎてしまう。

だから歌詞がなかったり、歌詞が少なかったりするような「縛りのある」歌は、逆に彼の良さが出てくる気がする。
「北の国から」はただただ美しいし、歌詞が少ない「桃花源」などもただただ美しい。

「北の国から」は歌詞付きも出したらしいけどね。
ダメだって、そんなことしちゃ。説明しなくても、伝わるんだってば。頭のいい人だから、わかってやっている部分も多いとは思うけど、イイタイコトのちょっと手前で止めてみる方が、彼の良さは活きてくると思ったりするボクである。




…って、「帰去来」への言及が疎かになってしまった。ま、いろいろ批判的に書いてはいるけど、「帰去来」「風見鶏」「私花集」の流れはかなりレベルが高い連作だと思う。
アルバムとしては「風見鶏」がフェバリットだけど、愛しているのは「帰去来」とグレープ時代の連作。彼の心の中の嵐が素直に表現されている。
こういう微妙な愛し具合、あの頃のさだまさしファンのアナタなら、わかるよ、ね??



最後に、恒例のベスト・テン。
昔好きだった曲と、いま好きな曲はずいぶん違うのに改めて驚いたり。


さだまさし(グレープ・提供曲含む)「極私的」ベストテン

1. 「異邦人」
2. 「思い出はゆりかご」
3. 「つゆのあとさき」
4. 「無縁坂」
5. 「19才」
6. 「追伸」
7. 「僕にまかせてください」
8. 「蝉時雨」
9. 「セロ弾きのゴーシュ」
10. 「フレディもしくは三教街」

「異邦人」は理由もなにもなく、好き。なんか昔住んでいた町の匂いが漂ってくるんだよね。
エトランゼ、という語感の響きも好きだし…。
大学時代だったかな。「好きな言葉は?」と聞かれて「エトランゼ」と答えていた時期がある。
響きが好きなだけだけど…。

「思い出はゆりかご」は渡辺俊幸という人の曲なんだけど、なんだかとっても美しい曲で、たまに無意識に歌っている自分がいます。「檸檬」とか「桃花源」、「最后の頁」「最終案内」なんかも好きだけど、ま、次点。



p.s.
さだまさしをこういうコーナーで取り上げるってなんだか照れくさい感じだよね。
やっぱり「暗い」とか「偽善」とか言われやすい人だから。
でも初期のさだまさしの叙情性は貴重だし、メロディラインの美しさはかなりのもの。それにやっぱりこれだけ長い間ちゃんと支持されてきているというのはサスガだと思う。毎年の長崎ライブを継続しているのも偉い。

p.s.2
さだまさしは2001年秋に「精霊流し」という美しい小説も出した。
その本の書評はこちらを。



【2000年3月記】

2000年03月01日(水) 22:20:06・リンク用URL

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