ドアのどれか一つは、必ず夏に通じている
2012年11月24日(土) 20:05:25
妻は関西に行っており、娘の響子は塾。
こんな状況でさっきみたいな震度4がやってくると、愛犬トイがうるさいw
家中がガタガタ鳴ったことを「おかあさんが帰ってきた音でわっ??」「響子が呼んでいる音でわっ??」と、バカっぽく興奮する。
まず一緒に玄関を見に行く。
「ほら、違うでしょ?」
でも彼は諦めない。
ハッハッと興奮しながら、次に寝室に一緒に確認に行こうとせがむ。その次は響子の部屋だ。すべてのドアを確認しないとこの旅は終わらない。
ああ、まるでハインラインの名作「夏への扉」のピートのようではないか。
気が向いたのでちょっと引用してみる。
綿毛の化物のような仔猫時代から、ピートはきわめて単純明快な哲学を編みだしていた。住居と食と天気の世話はぼく任せ、それ以外の一切は自分持ちという哲学である。だがその中でも、天気は特にぼくの責任だった。コネチカットの冬が素晴らしいのは、もっぱらクリスマス・カードの絵の中だけだ。その冬が来るとピートは、きまって、まず自分用のドアを試み、ドアの外に白色の不愉快きわまる代物を見つけると、(馬鹿ではなかったので)もう外へは出ようとせず、人間用のドアをあけてみせろと、ぼくにうるさくまつわりつく。
彼は、その人間用のドアの、少なくともどれか一つが、夏に通じているという固い信念を持っていたのである。これは、彼がこの欲求を起こす都度、ぼくが十一ヵ所のドアを一つずつ彼について回って、彼が納得するまでドアをあけておき、さらに次のドアを試みるという巡礼の旅を続けなければならぬことを意味する。そして一つ失望の重なるごとに、彼はぼくの天気管理の不手際さに咽喉を鳴らすのだった。
(中略)
だが彼は、どんなにこれを繰り返そうと、夏への扉を探すのを、決して諦めようとはしなかった。
そして一九七〇年十二月の三日、かくいうぼくも夏への扉を探していた。
・・・いいなぁ、夏への扉。
すっかりハインライン気分になり、本を片手にソファで読みふけってしまった。
BGMはもちろん山下達郎の「夏への扉」。
今日は飲まない予定だったけど、ちょっとワインもってくる!
