立川談志 独演会
2009年7月 1日(水) 12:03:55
眼福だった立川談志の独演会について書こう。
ある方がとってくれたプラチナ・チケット。サンケイリビング新聞社主催「リビング名人会 立川談志」。
大箱である「よみうりホール」の二階席だったが、生きて歩いて声出してる談志を見られるだけで満足である。なんつっても73歳にして声門ガンからの生還だ。以前も食道ガンとか摘出していたけど、今回は噺家の命、喉のガンだからなぁ。春には高座に復帰していたらしいけど、ほとんど声が出ず、出来も今ひとつだったと聞いた。
前座で弟子の立川談修が「家見舞」という噺をして(達者)、その後「踊らさせていただきます」といきなり高座で「奴さん」を踊った。そういえば談春が書いた「赤めだか」でも立川流の二段目昇進試験で踊りを踊る場面があったっけか。
で、次が談志。
出囃子が鳴り始め「お、ついに談志!」と身を乗り出したものの、そこからが長かった!
出囃子が鳴り続けること優に5分。いや10分近いか。いまかいまかと待っている10分ってホント長い(笑)。もう出てこないのかもと思った頃、談志がよちよちと姿を現した。というか、舞台袖カーテンから身を出したところで客席に「おぅ」とばかりに手を挙げる。ここで爆笑。座布団に座る前から空気を掴み、遅れたことも「談志だから仕方ない」とみんなが笑って許すこの凄さ。究極の芸は「その人自身でいるだけで笑いがとれること」だと思うが、そういう域に達した数少ない一人。
座布団に座るまでに数分かかる。歩けない。足がつらそうだ。膝が痛いらしく、噺の途中で「ちょいと待ってくださいよ、普通なら高座が終わってから楽屋で痛がるもんなんだろうけど、オレぁ客の前でも関係なく痛がるんだ。イタタタ」と、痛がる。歩くのがつらそうなのは可哀想。よろよろと数センチ単位で前に進む感じ。
まずは「居酒屋」。
これは「ずっこけ」の部分です、と談志自らが説明する。枕を語り、世相を斬り、落語を語り始め、落語の途中でまた雑談を入れ、芸人批判をやり、また落語に戻り、アメリカン・ジョークを少し入れ、また落語に戻り、落語の説明からまた雑談に入り、と、なんつーかもう自由自在の立川流。心配した声もよく出ていてメリハリも効いている。超よぼよぼだが、たまに若者の談志も現れる。その瞬間が面白くて。
仲入り後の後半も談志の落語。
またしても長〜い出囃子。というか、今度は「談志のことだから帰っちゃったんじゃないか」と心配になった。いや、もしかして死んじゃったのでは?…とか思い出した頃にまたよちよちと。
で、二席目「よかちょろ」(「山崎屋」)。
これ、落語にくわしい女性に言ったら「談志の『よかちょろ』! 生で聞きた〜〜い!」と羨ましがられた。
談志自身、「粗忽長屋」「金玉医者」と並んで大好きな噺なのだとか。十八番らしい。
しかし、サゲをサゲない。サゲの直前に「で、この噺、こうこうこういうサゲなんですが、あっさりしていていいやね」とサゲを客観的に解説してオシマイ。すげー(笑)。でも「このサゲの後にまだ一席二席分の噺があるんで、それを一席やりましょう」と、もう一席してくれた。
途中、番頭さんの台詞のところで「日本橋………おい、日本橋のどこだ?」「横山です」「あ、日本橋横山町ね」と、舞台袖のお弟子さんと会話(笑)。そこからまた雑談に入っていく。ま、とにかく自由自在。応用自在。
無事に噺も終わって、一度幕が下がったが、すぐ開いて「時間があるようなので」とお得意のアメリカン・ジョークをいくつか演ってくれた。このサービス精神があるなら大丈夫。もうちょっとは生きてくれそうな気がする。相変わらず毒舌爆裂だったし、気持ちの張りも失ってない。見た目は「超枯れすすき」だけどね。
同じ空間にいられるだけで幸せ。
みんなが「壊れもの」を扱うように丁寧に聴いている感じも心地よい。そう、客全員が、そーっと、壊れないように、優しい視線で彼を支え、包んでいるような。
こういう「わかってる人たちのわかってる空気」に浸るって、温泉よりずっと気持ちいいな。
