サラリーマン生活の優れた部分
2007年12月22日(土) 17:29:45
ハードルの為末選手が毎日新聞に「ハードラー進化論」と題して面白いことを書いていたのでメモ。
競技人生も長くなると「常識」がたくさん出てくる。常識は思考スピードを速めてくれるが同時に思い込みも生む。それが本当に正しいのか、もしかして例外があるのではないか、という再検討を怠ることにもなる。と書き、再検討というか視点の変化としてこんな例を挙げる。
例えば最初のうちは、走るという行為は、地面を自分の力で踏みつけて、その力で前に進むポジティブな動作ととらえていた。だから当時はスクワットなどの、下から持ち上げるトレーニングを重視していた。そして「道を究める途中では、積み上げるだけではどうにもならない場所がある。そこでどれだけ視点を変えることができるかが重要だ」と続くのである。
ところがある時、何かのきっかけでネガティブな動作だと思い始めた。自分の体が地面に落ちてきて、足がそれを支えているだけのように見えてきたのだ。トレーニングも下から持ち上げるよりも、上から落ちてきた体を支え、弾むようなものを重視するようになった。同じ「走る」という循環動作なのに、視点が変わると動きも大きく変化した。
この文章は彼自身がある会社の社外取締役になったことの報告として「競技生活に影響はでないのか、と言う人がいるが、『変化すること』は競技にいい方に働くと思っている」という理由として書かれていたが、いやぁ全くその通りだなぁ、と。
ボクはその辺のことを「思ってもみない流れには乗ってみろ」という言葉で自分の心に留め置いているのだが、なんというか、自分で考えることなんて限界があって、なかなか「自分の常識」を越えられないものなのだ。でも、思ってもみない流れに流されて乗ってみると、視点がガラリと変わり、わりとスムーズに新しい境地へいけたりする。
んでもって、サラリーマンって「強制的に視点を変えさせられちゃう」という意味において、なかなか優れた職業(?)だと思う。異動とか転勤が理不尽に言い渡される。そして思ってもみない方向に人生が流れていく。でもこれは、結果的にだが、人生を爆裂的に進化させてくれはする。
ボクもサラリーマンにならなければ大阪で働くなんてことはありえなかった。超理不尽だと思い、いやいや大阪に行ったものだ。でも、結果的に、あの十数年を抜きに自分の人生を語ることなんてできないくらい深く影響を受け、成長させてくれた。こういう強制的人生の変化は、成長過程において非常に重要な気がする。
個人で仕事をしている人にはそれがない。自分の「常識」に固まってしまいがちだし、視点の変化を得るのが非常に難しくなる。若くして独立した優秀な人(技術者や料理人や職人や)が、意外とその地点から成長してなかったりするのはそういう部分もあると思う。外部からの強制変化がない分、自分でそれを作り出さないといけない。それはとても難しいことだ。
サラリーマン生活における「強制的人生の変化」は、意外と貴重で有り難いことなのである。
