ムラカミハルキの中にある世界的共感
2006年8月 6日(日) 23:16:29
村上春樹集中再読は、短編もだいたい網羅して、やっと一段落した。
そういえばある方と飲んだときに「なんでそんなにストイックに全部読もうとするんですか?」と言われ、あれ?なんでだろう? と考えた。たぶん「村上春樹が世界的にとても流行っている」という事実をもう一度確認しなおしたかったからだと思う。
いままで、世界で本当の意味で流行った日本作家はいなかった。
ナツメだってカワバタだってミシマだってオオエだって、専門家やマニアは読んだだろうが、一般には特殊であった。特殊というか狭い意味で「ジャパネスク」と受け取られていたのだと思う。極東のエキゾチックな文化、みたいな。
でもムラカミハルキの流行り方は違う。アメリカやヨーロッパや韓国とかで普通にベストセラーだったりするのだ。ものすごい数の一般人が読み、共感している。彼らはムラカミハルキを「特殊な日本文化」と捉えはしないだろう。つまりムラカミハルキの中に「世界中の人が共感するある普遍」があるということだ。ボクは全小説再読作業を通じて、それが何なのか確認しなおしたかった(ってそんな偉そうなものでもないが)。
もちろん彼は現代日本を舞台に描いているわけで、彼が描く現代日本が「世界的共感として通用している」ということもボクにはやけに面白く感じられる。マンガやアニメやゲームでも現代日本は確かに通用している。でもそれらは新しいメディアだ。小説という古い古いメディアでそれが通用したことがやけに新鮮に感じられるのだ。
ムラカミハルキという作家を通して、ボクらの極東の日常が、世界的に共感される不思議さ。
なんとなく、初めて世界市民の一員と実感できたような、そんな感じをちょっと持っていたりして。
