娘の響子が入園した。 3月に3歳になったばっかしだからちょっと可哀想ではあるけれど、明日の月曜日から毎日、近くの幼稚園に通うこととなる。 きっとあの「鬼の食欲」にセンセイたちはたじろぐことであろう。 ちょっと心配なのは、響子独特の言葉遣い。 お腹がすいたら「お腹すいてぃあ。なんか食べゆ」。(詳しくはこちらを参照) これはいいとして、 お腹がいっぱいでも「お腹すいてぃあ」なのだ。 なぜだかしらん。 直そうとしたがまだ直らん。 なんでかしらんが、そうなのだ。 唯一の見分け方は、お腹がいっぱいなら「なんか食べゆ」が付かない、ということだけ。 微妙な言い回しだ。親にしかわからん違いだ。 きっと幼稚園のセンセイはずぅっと「お腹すいてぃあ」といい続ける響子にあきれはて、エサを与え続けることだろう。 しかも悪いことに、お腹いっぱいでも響子は食べ物を断らない。 「センセイにそのことを伝えた方がいいんじゃないか?」 「やーよ。最初から恥ずかしいわ。まぁちょっと慣れたら、ね」 うーん、ちょっと心配・・・。 絶え間なし。まさにCHAIN EATINGし続ける響子・・・ よくテレビなんかでやるような「びっくり仰天!!アメリカの巨大児」の映像が頭をよぎる。 大丈夫なんだろうか。 ところで。 ボクはこの入園の日を、前からかなり意識してきた。 「ある特別なる関係の終わりの日」だからである。 その特別なる関係とは、「情報完全共有」という稀有な関係である。 響子のいうことはいまならすべてわかるのだが、明日からはそうはいかない。 すぐ父親にわからない事柄を口にし出すに違いない。 情報という獲物をいままでは分けあって食べていたのに、明日からは別々の獲物を探してこの情報社会というサバンナを歩いていくことになる。 4月13日月曜日からは親子での完全なる情報共有は不可能になる。 情報的には、親の手を離れると言ってもいい。 そう、ある意味でひとり立ちなのだ。 大げさに言えば、明日から情報的には「他人」になるのだ。 そして同時にこの日は 「情報社会へのデビューの日」でもある。 今日までを親に情報操作された「情報鎖国」の生活とすると、明日から彼女は「情報開国」だ。 情報の渦にさらされることとなる。 幼稚園ごときでなにを・・・と言うなかれ。 いまの幼稚園は「情報の嵐」である。 昔(我々が子供だった頃)とは時代が全然違うのである。 なにしろ今は有史以来稀有なる情報時代なのだ。 いまの子供たちは、「衛星」に「ケータイ」に「インターネット」が常識な時代に生まれてきている。 情報との関わり方については、小学生くらいから「大人を抜かしはじめる」のである。 そうなったら、彼らは「子供」ではない。 もう対等なる「大人」なのだ。情報的には。 情報的には大人である彼らを、子供扱いしてはいけない。 その辺を勘違いしがちなんですよね。 どうにも大人は「我々が子供だった頃の子供に、今の子供をあてはめて接しがち」になってしまう。 異人種なんです。 10歳くらいでも情報力は20歳レベルの子供がいっぱいいる。 そして反対に、情報って観点から見ると大人でもオコチャマな人はいっぱいおる。 それなのに大人は大人風を吹かせて子供に接する。 ボクが子供だったらキレルね。 なんでも吸収する時期に膨大な情報と接している今の子供たちは、もう怖いほど世の中のアレコレを知っている。 そして「情報力のない大人」を見抜き、選別し、憐れんで見ている。 尊敬される親であれ! などとこの前ある人がこの頃の若年層犯罪の増加を憂いて書いていたけど、その方法が「釣りとかでうまいところを見せろ」「凧揚げでもコマでもなんでもいいからすごいところを見せるんだ」だって。 馬鹿みたい。 30年前ならそれでいいけど(情報が少なかったから、そのくらいでも父親に一目置いたでしょう)いまだとちょっと話にならない。 だってねぇ、釣りだったら釣りで、父親よりもっとうまい人の情報や、父親が教えてくれるよりもっとわかりやすいHOW TO本がいくらでもあるからねぇ。 父親って思ったよりすごくない、なんてことがすーぐばれちゃうんですよね。 ちょっと前まで、そうテレビが各家庭に入るまでは、父親が情報を一手に握っていた。 新聞だって父親が読んで聞かせていたという家庭が多かったようだ。 情報を一手に握ったものは神になれる。 ちょうどサティアンがそうだったように。 そういう時代は父親がとにかく尊敬されやすい時代だったのだ。 いまは全然違うぞぉ。 情報を握っていないどころか、テレビを見る時間がない父親は、情報的には劣等者だ。 一番バカにされやすい役回りなのである。 もし、子供から尊敬されることで若年層の犯罪が減るならば(それについてはボクは別意見だけど)、まず、親は「情報力」で子供と対等以上にならなければいけない、とボクは思う。 情報力で、「何だかんだ言っても父親(母親)にはかなわないな」と子供に思わせないと、超情報社会に生きている子供たちから尊敬されるなんて全くおぼつかないのである。 これを読んでいる30歳後半から40歳台・50歳台の方々。 もし子供との断絶に悩んでいらっしゃるなら、「まず情報力をつけること」ではないか、とボクは思う。それと「情報を得たり発信するためのギアを使いこなせること」も必要条件。 くだらない愚痴酒している暇があったら早く帰って「HEY! HEY! HEY!」くらい見て新しい歌を覚える。ドラマを見る暇がないなら「日経エンターテイメント」や「Junon」くらい読んで新しいところは押さえる。パソコンやオーディオの配線くらい目をつぶってでも出来るようになる。トラブル・シューティングもサッサカやれるようになる。モバイルは常識、くらいのことは言えるように使いこなす。金田一少年もちゃんと見てみる。「タイタニック」くらい会社をさぼってでも観に行く。ワールドカップの日本代表の名前くらい言えるようになる。プレステだって子供に負けないように寝ずにやり込む・・・ 「あなた、ひとつもしていないじゃない」 やかましいわい! 明日からはそうやって情報力を磨こうと、響子の入園を機に決心したの! 情報社会における大人のはじまりは「幼稚園入園」ではないか、とボクはずっと思ってきたのだ。 もちろん彼女はまだケータイもインターネットもやらないが、親の知らない情報社会に独自に旅立っていくことには違いない。 そう、3歳にして、「情報元服」、なのである。 明日から響子を情報的には子供扱いしないことをここに宣言する。 「・・・って、具体的にどうするのよ」 わからん。(きっぱり) |
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