シューーーードシャン! --02.06.11


ここにはあまり書いていないが、あれ以来約10ヶ月、自転車通勤をちゃんと続けている。

雨の日と飲みの日以外はほぼすべて自転車シュコシュコ。
暑い日もシュコシュコ。寒い日もシュコシュコ。

続く理由は「楽しいから」である。
んでもって「通勤と運動がいっぺんで済む」のも大きい。

40歳過ぎると、普通に生活していたらどうしても運動不足になってくる。それが通勤するだけで解消できるのがなんとも効率的で良いのである。

しかも、同じ運動でも、ジムみたいに「運動するために運動する」のではないところがいい。手段が目的になってしまうジムはどうも馴染めないのだ。会社に行くという目的のための手段が自転車での運動というあたりが、理屈っぽいボクには気持ちが良かったりするのである。


さすがに2月末の極寒時期は勇気がいったが、走り出して20分もするとホカホカしてくるし、走り終わったら汗かいているくらい暖かい。会社のエレベーターホールに着く頃には、ジャンパーを脱ぎ、上着も脱ぎ、シャツ一枚になっていたりするくらいである。


で、とっても寒い2月のある日、会社のエレベーター前で高そうなコートに身を包んだ後輩の女の子に見咎められた。


 「さとうさん、シャツ一枚で寒くないですか〜?」


待ってましたとばかり、鼻高々で答える。


 「うん。実は自転車で通勤しててねー、走り終わるころには暑いくらいでねー・・・」


当然「すごいですねー」と褒められるものと思っていたら、その後輩、顔をひどくゆがめた。


 「え"〜、自転車ですか〜!? この寒いのに〜!? ヘンタイ〜!」






へ、ヘンタイ !?






ジョークかと思って「あはっ」と笑いかけたが、彼女は笑いもせずそう言い捨て、さっさとエレベーターに乗ってしまった。

呆然と見送るボクに、エレベーターの中から最後の一瞥を送る。

それはまさに「無益な努力をするマニアックなヘンタイ」&「電車代を節約する貧乏人」を見る目であったのだったった。


思えばあの時が、我が自転車通勤歴最大の危機であった。

自転車通勤って一部にはカッコ悪いんだ〜! と、遅まきながら気がついた。
それまでは「ひょっとしてトレンデーでカッチョいいライフスタイルなのでわ !?」と思っていたのだが、人に寄ってはめちゃカッコ悪いと思うことがよくわかった。

でもあの時わかっておいて良かった気がする。
自転車通勤=カッコいいライフスタイル、と思いこんだまま生きていたら、どこかでもっと大きな心の傷を負ったであろう。うははは。




ま、いまでは「♪そんな時代もあったねと」笑って話せることである。

いまはほぼ毎日、楽しく自転車で通っている。
カッコいいとか悪いとか、ライフスタイルがどうとかいうことでなく、すでに習慣になりつつある。雨とか降ると「えー、電車になんか乗らないといけないのかー」と登社拒否的になる。

道もいろいろ変えたが、基本的には海岸通りを走り、片道45分〜50分くらい。

途中、旧東海道の商店街を通り抜けたり、築地市場内を通り抜けたりして、日々いろんな生活をしている人を垣間見つつ走る。

この、いろんな生活を見つつ走る、というのが心にとっても効いている。

家から電車でワープするように会社についてしまうと、市井の生活がわからない。車で送り迎えされる国会議員と感覚的にはあまり変わらない。空気感としていろんな人の生活が見えてこないのである。

それが見える。走る時間によって、街も表情を変え、いろんな生活がそこに現れる。そしてそれは「人間どんなところでも自分の場所を見つけて生きていけるな」という自信にもつながったりする。会社で悩んでいることとかが非常に小さく思えてくる。仕事がうまくいかなくて自殺する人がいるが、自転車通勤すればそんな事態にはならないのではないか。サラリーマンをしているととにかく世界が狭くなる。サラリーマン的価値観にどっぷり浸かってしまうから、外が見えなくなるのだ。電車通勤はそれを助長する。もっと地に足が着いた生活をしている人々の間を毎日走るような、そんな生活が必要なのではないか・・・・・




などとうじゃうじゃ考えながら、その日も例によって快調に自転車を飛ばしていた。

歩道は歩行者の迷惑になるので、出来る限り車道を走ることにしているボクは、右側を走っていく車に気をつけながら駐車中の自動車の横をシューーーーーーーッとかなりのスピードで通り過ぎようとした。




ら、突然、駐車している自動車のドアが開いたのである。




シューーーーーーキキィーーーードシャン!!! ガチャドギャゴガン! カラカラカラカラ

(←最後のカラカラは倒れた自転車の車輪がむなしく回る音)









いて〜〜〜〜〜〜〜っ!!!









自動車のドアが急に開いたことを視認したボクは、当然のように急ブレーキをかける。
右によけたら車に轢かれて死ぬ。それは意識していたからハンドルはきらない。

力いっぱい急ブレーキする。
特に前輪。右手のブレーキが前輪だから、右利きのボクは突発的に右ブレーキを強く掴む。

前輪がロックされ、慣性の法則で運動を続けようとする我が自転車の後輪が浮き上がり、それと同時に前輪も浮き上がり、宙を1メートルほど飛んだ。

そのうえ。
車のドアを開けた人はボクに気がつき、「あっ!」と声を上げると同時にドアを閉めようとする。

全開されたドアが鋭角に閉まっていく。
ドアの切っ先がこちらに向く。

中途半端に閉めるなぁ〜〜〜〜!




次の記憶は、左肩を押さえ、痛みに転がり回っているボクであった。左肩がドアの切っ先に真っ直ぐぶつかったのである。

転がった瞬間、車がすぐ横を通り過ぎたのも覚えている。

間一髪だ。

少しでも右によれていたら、轢かれていた。

それと、肩に全被害が集中したので、カラダの他の部分に傷はないようだ。
特にアタマ(ヘルメットはしていなかった)は奇跡的に無傷である。





ドアを開けた人がびっくりして駆け寄ってくる。


だ、だ、だ、だいじょぶですかっ!!!






痛みにのたうちながら、頭は冷静に働いていた。

えーと、こういうときは絶対謝らず、あちらの非を主張し譲らないことが大事なんだな。とにかく自分はなんにも悪くないと主張しまくらなければな(ま、実際ひとつも悪くないのだが)。

んーと、ケガはオーバーに言った方がいいのだな。肩折れてるかもしれないからな。それだけでなく、頭や腰も打ったことにして、一応病院で調べてもらった方がいいな。後遺症とか出ることあるし。

むーと、この人逃げないようにちゃんとキープしておかないといけないな。起きあがったらすぐナンバープレートとか確認しなくちゃ。あ、免許証とかもどこかでコピーしないとな。

おーと、目撃者も探さないといけないな。あとでごまかされるかもしれないしな。

・・・とにかくアメリカ式に、ハード・ネゴシエーターでいかなければ。

よし! まずは習い覚えた関西弁で「耳から手ェ突っ込んで奥歯ガタガタいわしたろか」と啖呵切ったろ!




そう考えながら、その人を見る。
心配そうに顔を近づけてくる。ちょっと年上のオジサンである。硬い顔をしている。突然の出来事にパニクってもいる。ひげ面で大男で一見怖そうなボクの出方をうかがっている。なんだか急にオジサンが可哀想になる。




次の瞬間、ボクの口は気持ちとは裏腹に、こう動いていた。





うーー、すいませんでしたー。そちらはだいじょうぶですか?









オ、オレはアホか!(アホじゃ)









ひそかに後悔していると、その人はボクの言葉を聞いてガラッと態度を変えた。





こ、こちらこそ、ホントすいません!
大丈夫ですか、いやーホントにもう。
す、すぐ病院行きましょう!
(近くの通行人を見て)
あ、証人になってくれませんか! 私が悪いんです!





おお♪








その後はとんとん拍子であった。

かなり過重がかかったであろう左肩は痛いし血も出ているが、指も腕も動くし骨は折れていない模様。肩以外は奇跡的に無傷である。

そんな状態なので、病院に行くこともないかなとお断りしたら、オジサン自分から免許証と社員証を持ってきて連絡先のメモを作ってくれ、ボクの名刺を要求し「とにかくいつ後遺症が出るかわからないから毎日私からこの名刺のところに電話します。心配なので」と主張する。

ボクはボクで「いや、ボクも安全確認が足りなかったですし、スピード出し過ぎてました。ええ、肩は大丈夫っぽいです。打ち身でしばらく腫れる程度でしょう。そちらこそドア大丈夫でした? いやいや、こちらこそ、ホントすいません」などと。

そうするとオジサンも加速度ついてくる。「いや、そんなそんな、全面的に私が悪いんです。ホントに大丈夫ですか? 通行人の方の連絡先も控えましたし、なにか少しでも悪いところがあったら全面的に責任とりますから! とにかく悪かったらご連絡くださいね。いや、こちらから毎日連絡します。(名刺を見て)あー、こんな大切なお仕事なさっているのに(筆者注:大笑)、お仕事にさわらなければいいのですが」と。

お互い「いえいえこちらこそ」「いえいえこちらこそ」の言い合いである。





ビバ! 日本的コミュニケーション!!!





お互い自分の非を認め、相手の立場に立ってモノを考え、礼を失せずコミュニケーションしている。もう少し話していたら一緒に居酒屋に行きそうな勢いであった。



ええ、甘いのはわかってます。
たまたま相手に恵まれただけだろうし、国際的にはきっと通じないでしょう。

でもね、「私は悪くない!アンタが悪い!」などと声高に主張するのは、訴訟社会やいろんな人種が集まる社会では仕方がないとはいえ、やはりオコチャマ・コミュニケーションだ。子供同士のケンカと違わない。冷静に考えると非常にレベルが低いコミュニケーションだとわかる。

そういう意味では、日本は非常に高度なコミュニケーションを持っている社会なのである。

このところ「国際社会では絶対自分の非を認めてはいけないざます」などという論が当然のように言われているが、リスク・マネージメント的には正しいとはいえ、なんでレベルの低い社会のマネをしないといけないのだ?という気もしてくる。
お互いにまず自分の非を認める、という高度なコミュニケーションをできる国がいったいいくつあるのだ。人間がたどりついた、ある理想的コミュニケーションではないのか!


うはは。
ちょいとオーバーだがな。


ま、海外旅行時のトラブルは別にして、ボクは残りの人生、日本的コミュニケーションで行こうと決心したのである。
なんかこういうのとってもいいじゃん、と、痛みを忘れるくらい気持ちよかったのだ。


今回みたいにこっちは法律的には全く悪くない時でも、ボクが思わず(←思わず、というのが何となく情けない気はするが)先に謝ったことで、オジサンの心は溶けた。
ボクが強固な態度で出ていたら、オジサンもかたくなだったかもしれない。「私は悪くない」と主張しさえしたかもしれない。




北風より、太陽。

自分の正義を一方的に主張するコミュニケーションより、自分の非を認めつつちゃんと話合うコミュニケーション。





そんな社会の方が、とりあえず好きであるな。

 




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