はは、月頭更新を全くしなかったのは、このサイト始めて以来初めてかも。 心配メールをいろいろとありがとう。 まぁね、書けないときは書けない自分に身を任す、というか、要は「書きたくなるまで書かないでおこう(どうせそのうち書きたくなるさ)」などと思ってたです。 だいたい「書けない」とかほざくほどの筆力でもなし。「スランプだー」と悩むほどの実力もなし。こういった趣味レベルの書き物などなかったらなかったで誰も困らない。だったらまぁ自分のモチベーションの高まりをゆっくり待つべし。 ・・・って余裕かましてたんだけど、一向に書く気にならんではないか! このまま一生更新しないんではないか、と他人事のように心配になり、無理矢理モニターに向かっているボクなのです。うん。書き始めたらまたナニカが戻ってくるかもしれないしね。 つうか、「いま書く気にならない理由」は自分でもある程度はわかっている。 ■毎週あった朝日新聞連載の〆切がなくなって、なんとなくホッとして開放感と疲れが出た。 ■その連載を本にするのにかなり加筆せねばならず、それがかなりプレッシャーになっている。 ■新しい職場や人間関係に馴染むのに、本人意識しないままにわりと疲れてた(みたい)。 ■会社でホームページ系の仕事してるから、家ではあまりホームページをいじる気にならない。 ・・・・あたりが重なって、なんかモニターに向かってしこしこ書く気にならなかったんだよね。 あ、あと、モニターに向かったら向かったで、 ■思わずウルティマ・オンラインをしてしまっていた。 のも大きい。むはははは。確かにこれも大きい。 いや、音楽と魔法がGMになって、扇動スキルも90近くになってきて、楽しい時期なんだよね。強くなったからいままで行けなかった場所にもどんどん突っ込めるし、めちゃ強い敵も工夫して倒せるようになったしね。そうそう、称号もグロリアス・ロードになったのだ。危険な場所ばかり行くからすぐ称号落ちするけどな。ぐはは。 別キャラは釣りGMになってSOS釣りも面白いし、新キャラは鍵開けをGMにして準レアハンターにしようとしているし。あー、音楽と魔法をGMにしたメインキャラはテイマーも入れてバードテイマーに改良しようかとも悩んでいる。うー、音楽・扇動・魔法・瞑想・レスリング・テイム・ロアというスキル構成はどうなのだ、守備が弱すぎるか、など悩みは尽きない。うーん。まだまだ飽きないのだ。(←わからん人にはまるでわからず) オンラインゲームだから、いろんな出会いもある。 ノンさんをきっかけにして入った「Mal」というギルドの仲間たちや、UOやってなかったら親しげに会話しなかったであろうsamiさんやLionさんやYuriさん・・・オンライン上の街やダンジョンやいろんな場所でばったりそういう人たちに出会ったり話したり冒険したり、そういうのが他のゲームと違って面白く、なんとなく毎日ログインしてしまうんだよねー。 ボクに会いたい、という奇特な方がたまにいらっしゃるが、ウルティマ・オンラインのWAKOKUシャードに来ていただくのが一番手っ取り早いかも。はは。アカウント取ったら連絡してねー。お互いの貴重な時間を共有して、一緒に冒険しようじゃないか。 あ、そういえば、今回「書けない」ことに関して「前回の日記に対して会社や上司からなにやらあった」って心配してくれた方々、ありがとう。 でも違うよん。あれに対する反応は(会社からは)全くなし。 あの程度の文言に過敏に反応するような会社ではないし、それほど過激なことを書いた気もない。だって仕事をさぼっているわけでもないし、やることやっている上で「自分の時間を自分のために使う」ことは結局会社に「豊富な経験&個人的才能」として還元されるはず。どっちにとってもイイコトなのだ。 会社以外からはわりと反応あった。 改めて「人生=時間」ときっぱり書いているから、それに対する反応。賛成9割。質問1割って感じだったかな。 なんだろう。 いろんなメールや実際にお会いした方からの言葉から類推するに「人生=時間」というのはわりと新鮮な切り口だったみたい。うーん。そうなのか? まぁなんとなくそう感じていてもハッキリそう言われると新鮮、ということなのか。いや、単純にボクの考え方が異端なのか。わからん。 ボクの中ではこの考え方はずいぶん前から煮詰まっていて「時間が一番大事」という意識は心の奥底にこびりついた感じになっている。それが一種の強迫観念になるくらいに。 だからなんか、当然、って感じで書いたし、そんなに揺るがないなぁ。 ボクにとって、物もお金も食事もボクの時間を彩る小道具でしかないんだよねぇ。 だから、物やお金や高い食事そのものに惹かれることが非常に少ない。うん。おごられたり、特別扱いされたり、接待されたり、そういったものがボクは非常に嫌いである。だって居心地悪いんだもん。つまり「いい時間」にならないのだ。所詮そういったものは小道具。いい時間の方が大事。いい時間が過ごせないとしたら、どんな高い食事も特別な接待も「苦痛」でしかない。 いわゆる「食マニア」「食べることがなにより好き」という方々から「さとなおさんとは話が合うと思って」みたいなメールをいただくが、ボクは食事自体にはそれほど興味がないことはわかってほしい。 もちろんうまいものが食べたい。でもそれはうまいものを食べることによってもたらされる幸せな「時間」が欲しいからであって、料理そのものは脇役なのだ。 だから食事方面の知識については、ボクはみんなが意外と思うくらい乏しいよ。食材の知識とか作り方とかシェフの動向とか、ほとんど興味がない。その料理が、そのレストランが、ボクにいい時間を与えてくれたかどうか・・・そこに一番興味があるのだ。 -------------- レストラン=いい時間を与えてくれる空間、この考え方を煮詰めたのが「ジバラン」。 あれを仲間たちと始めて4年以上になるけど、まだその考え方は変わらない。揺るがない。どんないい料理もやっぱり脇役。主役は「いい時間」。まぁいい料理がいい時間を与えてくれることは多いけどね。 -------------- 閑話休題。 ボクにとって、人生にゴールなどないんだよね。 人生に目的も、ない。 だって、人生は「いつか来る、より良き未来」ではなくて「今そのもの」なんだもん。過去・現在・未来と積み上げるものではなくて「今そのもの」なんだもん。ゴールはもとより、目的もなにもあるわけはない。そんでもって、死ぬときに人生の総決算をするわけでもない。明日死ぬかもしれないのになんで総決算が出来るのだ。 「人はなぜ生きるのか」って質問がメールにあったけど(こんな重い質問するなよ〜)、ボクなら「いい時間を送りたいから」と(今は)答える。 軽い答えですまん。 でもボクにとって人生とは時間そのものだから、なぜ生きるかと聞かれると「今生きている時間をよりいい時間にしたいために生きている」くらいしか答えられない。 え? 刹那的に生きよう、と言っているのではないよ。 ただ、自分がそれをいい時間だと思うのなら、刹那的に生きるのもアリだと思う。ボクはいろいろやってみて、刹那的すぎるのはやっぱりちょっと居心地悪いとわかった。ボクにとっての「いい時間」になりにくい。だからボクはタイプが違うのだろう。 よくある「人のために生きる」という答えは違和感感じるな。 人は自分のために生きるのだ。自分に与えられた限られた時間を自分のためだけに使うために産まれてきたのだ。ただ、人のために時間を使ったらその時間が自分にとってとても「いい時間」になる、というタイプの人もいる。その人たちは人のために生きたいのではなくて、人のために時間を使うことが気持ちいいのだ。そういうことだと思うな。 「人は幸せになるために生きる」って答えも多いけど、それもちょっと違う気がするなぁ。 年と共に幸せのベクトルは変化するし、第一、幸せは長続きするとは限らない。幸せになる、というのは「ゴール」という意識があるよね。幸せという人生のゴール。そんなものないのよ。ゴールがないんだから。 仕事をいい時間と感じたら仕事をし、ダラダラをいい時間と感じたらダラダラし、ボランティアをいい時間と感じたらボランティアをし、努力の積み重ねの結果としていい時間が訪れると思うなら努力を積み重ねればいい(積み重ねた結果としていい時間が訪れる気がするから人は努力をするのだ)。 人それぞれ「いい時間」の尺度が違う。 そういう個人たちが、ルールを決めて集まっているのが、社会、である。同じ尺度を強制する社会は最悪だ。そういう時代を人類は長く経てきたけどね。 ボクは、未来的に、「自分が考えるいい時間」を過ごすために最適な社会を、自由に選べるような世界になるといいなぁと思っている。いまでもかなり選べるけど、国家という概念・壁がまだまだそれを邪魔している。もっともっと自由に選択・変更できるようになり、それぞれの社会が「うちはこんなにいい社会だから是非来ないか」と個人に対してプレゼンするような・・・。まぁ妄想だけどさ。でもクラブや部を選ぶように社会が選べたら、いいなぁ・・・。 うう。 話がちょっと大きくなってきてしまった。書き慣れないと変に力が入る。 ええと、話を「いい時間」に戻そう。 ボクは努力自体はあまり好きではないが、「いい時間を送るために努力すること」は、好きである。 労を厭わない(少なくとも気持的には)。 だって、それって人生そのものなんだもん。そこに努力しなければ、どこに努力するのだ? 逆に「いい時間を送ることに関係ない事柄において努力すること」は非常に嫌いである。 つき合いも非常に悪いし、義理も欠く。会社や他人にとって大切なことであっても最小限の努力しかしない(最小限の努力はするので誤解しないでね。特にプロとしての最小限はしようと思っていますの)。 ここらへんはボクの中で明確に区別されている。 言葉で言うと、ライフ・ワークとライス・ワーク。 ライフ・ワーク。 普通に使われている意味とはちょっと違うが、ボクにとって「いい時間」に関わるすべてのワークは「ライフ・ワーク」。 ライス・ワーク。 これは基本的に「メシを喰うための努力」であり、メシを喰うためにプロとして恥ずかしくない最小限のワークを、自分の時間を切り売りして、する。それが「ライス・ワーク」。 40歳近くなって、ライス・ワークが目に見えて増えてきているのが悲しいんだけどね。 ・・・と、ここまで書いて、「いい時間」にも「メシのタネ」にも関わらないくだらないワークも増えていることに気がついた。うー。言うなれば「ライト・ワーク」。 人生という貴重な時間において、非常に価値が軽いワークである。 ライフ・ワーク、ライス・ワーク、ライト・ワーク---------- え? ベテラン・カメラマンの仕事? それはライカ・ワーク! は? 中華の〆を果物で彩る仕事? それはライチ・ワーク! へ? 太陽にほえろ!のゴリさん? それはライタ・ワーク! と、無限に作れそうな気もするが、そういう問題ではないのである。喝! |
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