中学・高校と、わりと「古寺仏閣」少年だったのです。

歴史小説が好きで司馬遼太郎はもちろん、海音寺潮五郎、子母沢寛あたりはすべて読んでいたのですが、それにともない(?)興味は古寺仏閣に移っていったわけです。

当時、ボクは横浜は保土ヶ谷に住んでいて、鎌倉がわりと近かったことも原因のひとつかもしれません。横須賀線で40分も行けばあの大好きな北鎌倉駅でしたから。

週末は毎週のように出かけました。
友達を誘い込んで何人かで「古寺仏閣巡り」を毎週のようにしていたのです。
抹香臭い趣味でしょう?
でも想像されるような文化部系的暗いメンツではなく、主要メンツはボクも入っていたラグビー部の連中でした。

でかくてむさい男たちによる「古寺仏閣巡り」。
まぁ毎週のようにですから、そのうち目をつぶってでも歩けるくらい鎌倉を熟知しました。どこにどんな仏像があるかはもちろん、どの売店のアイスがうまいか、どの路地にどんな犬がいるか、どの寺のどこにどんな花が咲いて今年の手入れ状態はどうか……
いや、誇張ではなく、そのくらいは鎌倉を把握していました。

で、少年は自然と(?)朱印収集を始めます。
朱印、といってもわからない方がいらっしゃるかもしれません。ん〜なんと説明したらいいのか……そうか写真で見せた方が早いですね。興味ある方はこちらをご覧ください。朱印の例をいくつかご覧に入れます。

「こんなに毎週お寺を回って、朱印もして、たまには写経までしているのに、お経のひとつも言えないのはおかしいな……お経が言えたらすごく格好いいな」

格好いいかぁ〜?
でもまぁそういう発想をしたのですね、当時のボクは。仏教思想の真髄にはちっとも迫らず、表面的な格好を追うあたりがボクらしい。
写経をして「お、般若心経ってわりと短いじゃん」と思ったのも動機のひとつ。これがバカ長い観音経とかだったら覚えようなんて気も起きなかったことでしょう。

般若心経は宗派を越えてどんなお寺で唱えても効力(功徳)があるらしいというのも動機になったかな。それでも本音では「古寺仏閣が好きな中学生はゴマンといるけどお経が唱えられる人は見たことがない。それってかなり格好いいことではないか」と思っていたのでした。

15歳前後というのは脳味噌がきれいですから、覚えるのにさして時間はかかりませんでした。
だって本当に短いお経なのです。
早口なら20秒くらいで全部言えちゃいそうなくらい短い。楽勝楽勝。漢字は難しいですが、祖父に読み方と息継ぎの場所を教えてもらって、2時間くらいで覚えた記憶があります。
それ以来お寺に行ったりお葬式があったりする度に心の中で唱えていますから、きっともう忘れないでしょう。たまに文章の順序が入れ替わっちゃったりしますけれども……

ちなみに意味はわかりません(ひえ〜)。
そう、意味も分からず唱えているだけです。だって格好だけで始めたのですから。
般若心経に関する本はいろいろ読みましたが、読んだはしからその深遠なる思想を忘れていきます。要は頭に入らないのです。まぁもともと古代インド語の教えを中国人が無理矢理漢字に当てはめて作ったお経ですから、頭に入りにくくてもしょうがないですね。冒頭の「摩訶般若波羅蜜多心経(まーかーはんにゃーはーらーみーたーしんぎょう)」って言葉も古代インド語の「マハーパニャーパラーミターチタースートラ」を無理矢理漢字にしたって言うんだからねぇ……(すごいっしょ?)


鎌倉に毎週のように通っていた頃、ボクは祖父母のところに居候していました。
親が四日市に転勤したのでボクは祖父母のところに身を寄せたのです。受験してせっかく受かった中学を転校するのはもったいない、という理由です。

結局その祖父母のところ(保土ヶ谷)に中学2年から5年間世話になりました。
その、世話になった祖父・白井正が今日(1997年2月18日)亡くなりました。90歳。ボクが言うのもなんですが、本当にさわやかで素晴らしい人間でした。徳と愛敬に溢れていました。

始めた動機は不純だし、いまだに意味も分からない般若心経ですが、こういう時「覚えていて良かったなぁ」とつくづく思います。真心を込めてゆっくり唱えれば、きっと、少しは、死出のつらい旅路を助けてあげることが出来ると思うから。

おっとセンチになってきちゃったぜ。
では!

97.2.18(保土ヶ谷の祖父のなくなった日に)記

 

※せっかく覚えた般若心経を忘れないために、個人的復習のページへ。
いまから覚えてみよう!という人にも有益かも。




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