短命な予感  --99.05.31




それなりに計画性をもって生きてきた気がする。

教養主義的なところがあるし、5年後にピアノが弾けるように、とか、10年間でこのくらいワインを飲んでゆっくりワインに詳しくなろう、とか、わりと長めの計画を立ててダラダラ達成するのが好きでもある。

サントリーの古いコピーで言ったなら「少し愛して、長く愛して」というのが好きな性分なのだ。
凝りまくってすぐ飽きる、ということはわりと少ない。
凝ったものはそのまま「長く愛して」行く。


細く、長く、な、ライフ・スタイル。


その前提には「きっと長生きするだろう」という予感があるのである。



もともと、ボクのうちは長生きの家系なのだ。

つい最近まで祖父母が4人とも生きていた。親戚の葬式などあげたこともなかった。先祖的にもみな長命なのである。
だから、ボクも当然90歳くらいまでは生きることを無意識のうちに前提として、人生観を組み立ててきたのだと思う。

「おお、やっと人生5分の2か。よし、そろそろ広く浅くから狭く深くに方向転換しようか」みたいなロングタームな発想をなんとなくしてしまう。そういう風に物事を見るところが、ボクにはある。

そういう意味では「刹那的」人生観はボクにはなかった。
「いまが楽しければそれでいい」というような享楽的な考え方はよくわからなかったのだ。

だって、人生はめっちゃ長いのである。

あと、50年は余裕であるのである。

そんな「いまが楽しければそれでいい」なんて生きていると、長い目で見たら痛い目に遭うぞ。ストイックにゆっくり歩いた方が結局いいんだってば。キリギリスよりアリさんだよ、人生は。異常に気持ちが良いことを一瞬するよりも、気持ちはそこそこ良ければいいから、長く長くその気持ちの良さを味わえた方がいいに決まってる。なにしろ人生は長いのであるからして・・・。


すべて、前提は「きっと長生きするだろう」という予感である。


でも。
でもでも。
その前提が、この頃崩れつつあるのだ。






話は変わるが、この前、ある、なんの利害関係もない集まりに出席した。
そこで同年代のサラリーマンたちと仕事についてぼんやり話をしていたら、実は「徹夜」ということを経験していない人がほとんどであることを知り、とってもびっくりした。

「えー、徹夜ってしたことないんですか?」
「仕事ではないですねぇ」
「えー!?、ひょっとしてあなたも?」
「ないですねぇ」
「うそ・・・あのー、あなたも? あなたも? あなたも?」
「(全員すまなそうに)ないですねぇ」

徹夜でマージャンしたり、飲んだり、というのは経験あるという。
だけど、仕事で徹夜するなんて考えられない、と言うのだ。

うーん・・・

なんでボクはこんなに徹夜が多いんだろう。


でもさ、例えば世界に誇る日本の技術開発研究者や、決算前の銀行員とかも、徹夜ってしないわけ?

・・・あ、でもそういえば、日本のトップ技術の工場を取材したとき「やっぱり追い込みとかになると徹夜な毎日ですか?」とそこのチーフに聞いたら、

「いえ、ボクは徹夜はしたことないなぁ」

って言っていたっけ。



うーん・・・



それにしても、なんでボクは、いや、この業界(CM制作)はこんなに徹夜が多いんだろう。
入社14年目にして、はじめてそんな素朴な疑問を持ってしまったボクなのです(鈍感すぎ)。

この頃なんか、毎週一回は定期的に徹夜を強いられている
徹夜が好きなわけではなくて、どうしてもそうしないと間に合わない仕事ばかり。

やっぱりこの業界が異常なんだろうなぁ。


それにしても、5月はひどかったぞ。
なぜか、土曜から日曜にかけての徹夜というのが毎週続いたのだ。

そうなるとどうなるか。
つまり休みがなくなっちゃうんですね。

だって、日曜の朝フラフラになって帰ってくる。で、寝る。起きてメシ喰って、疲弊しきった身体をだましだまし連載やら校正やらの作業をしたらもう日曜の夜中なんだもん。
あ〜、またホームページの日記すら書けなかったなぁと思いつつちょっと寝て、起きたらもう月曜日。嵐の一週間がもう始まってしまうのだ。
で、平日にまた完徹が混じったりする。そう、朝帰って寝るということが出来ずにそのまままた夜まで働く。そんなのが混じるともうだめだ。

歳のせいもあろう、徹夜したあとは、さすがにすぐには体調が戻らない。
3日ほど戻らない。
頭はぼーっとしているし、脳は集中力を欠く。胸はなんだか狭っ苦しい感じがするし、足は常にだるい。

土曜に徹夜した場合、3日ほど体調が戻らないでいるとすぐ木曜日。

その間に東京出張とかが挟まっていると、また疲れがたまって、よしそろそろ体調戻ったなと思った時点ですでに金曜日。
「え、明日(土曜日)も仕事? あー、そうっすね、編集しないと間に合いませんね」などと会話して、泣く泣く土曜日に編集とかに出かけて、トラブッたり粘ったりしているうちに、気がついたら日曜の朝。カラスがカァー。


たまらないっす。


おかげで沖縄本の校正は、校正紙を肌身離さず持ち歩いているのに、この二週間まるで進まず。 せっかく連休中に寝ずに書いたのに、こんなところで二週間もブランク空けちゃったら、あそこでの頑張りがまるで無駄になるとわかっていても、まるで先に進まず。

あぁ、これでは発売が遅れてしまう!




やばいなぁ、と思うのは、この頃、CM業界の方のお葬式が多発していること。

みんな50代とか60代でどんどん逝ってしまう。

前々から「どうも平均寿命が短い業界らしい」とは思っていたけど、こう続くとさすがに背筋が寒くなる。


やばい。やばい。やばすぎる!
こんな生活を続けていたら、必ずや・・・・・




ボクは会社には「自分の時間を売って給料をもらっている」と思っているから、売った時間分はきちんと働こうとは思ってる(ちょっときれいごと)。
でも、売らない分の時間は出来るだけ自分ののために使おうと割り切っていて、仕事以外のつきあいは極力避けているタイプのボクである。
みなさんに心配されるまでもなく、仕事は最小限しかしないようにしているボクなのである。

そんなボクですら、こんなに徹夜だらけになってしまうこの仕事って、いったい何?



このままでいったら、まず長生きなど出来ないであろう。

いくら頑健な身体であっても、いつかはポシャる時が来る。





明日、6月1日で38歳になる。

若いようで、年寄りだ。
だって、考えてみたら、あとたった12年で50歳なのである。


こんな生活を続けていたら、50歳になれるかどうかもおぼつかない。

そのせいか、この頃急に「刹那主義」的になっているボクである。

そう、生きてるうちが華なのさ。
今日が楽しければ、それでいいじゃん。
だって、明日死ぬかもしれないし、来年の春にはいないかもしれないし、とにかく我慢して長期的に頑張るより、いま、いまを楽しく生きないと!


やっぱり人生、アリさんより、キリギリス。
いつ死ぬかわからないんだから、キリギリスに生きないといけないのだ!




こんな風に、38歳にして人生観を転向しかけているボクなのである。

長生きできそうもない、と思った時点で変わってしまうような脆弱な人生観自体が情けないが、まぁそんなものであろう。

でもしかし、ストイックな自分が徐々に解放されていく様は、なかなか気持ちがよいね。

38歳にして初めてこういう快感を知ったかもしれない。




言うなれば「解放童貞」




刹那的人生観への仲間入り、である。




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