大旗が海を渡るとき  --99.04.14




もう一週間以上も前のことになるけれど。

  ・・・というか、たった一週間ちょいなのに、
     甲子園のことなど、もう記憶の彼方だよね。
     やっぱり時の流れ方が、異常だ、日本は。

沖縄尚学高校が甲子園で優勝したとき、ボクたち3人家族は、ちょうど沖縄にいたのだった。



4月2日の準々決勝、対市川戦。
ボクたち家族は沖縄南部、糸満の公設市場にいた。

勝った瞬間、市場のおばちゃんたちは包丁をまな板に「ダンダンダンダン!」とリズミカルに叩きつけ、大声出して喜んだ。

「勝ったー! やったー! ざまぁみろー!」




4月3日の準決勝、対PL学園戦。
ボクたち家族は沖縄南部、新原(みばる)ビーチのグラスボート乗り場の事務所にいた。

勝った瞬間、そこに集まった地元のおっちゃんたちは走り回って喜んだ。砂は飛ぶ、オリオンビールは飛ぶ、オウムは叫ぶ、犬は鳴く。

「おおおお〜〜〜! PLに勝ったぞ〜〜〜〜!」



4月4日の決勝、対水戸商業戦。
ボクたち家族は那覇一番の繁華街、国際通りを歩いていた。

普段は宇多田ヒカル一色の土産物屋のBGMも、今日はどこも決勝戦のラジオ。
いや、それどころではない。
パチンコ屋も書店もショッピングセンターも沖縄そば屋もホテルの廊下も、すべて決勝戦のラジオをBGMに流していた。


勝つ瞬間を狙って、那覇の公設市場へ行った。


働いているおばちゃんたち、まるで仕事が手に着かない。
8回くらいから、ドラムカンを棒で叩き出して、9回になったら三線(三味線)が鳴り出した。

各所に置いてあるテレビ前は黒山の人だかりとなり、すべての目が画面に集まる。
おばちゃんたちは店を開けてテレビ前に集まってくる。
万引きとかキャッシャー狙いとかは大丈夫かよ、と心配になって、ボクはそれとなく回りに目を光らせてしまったりして。


早くも踊り始めている人がいる。
どこかで太鼓が鳴っている。
あちこちで指笛が響いている。




勝った瞬間。
春夏の甲子園を通して初優勝した瞬間。

喜びは、さながら爆竹のように、各所でそれぞれの音で炸裂した。

踊り狂う人もいる。
バンザイしながら走り回る人もいる。
さあさ、飲もう飲もうとオリオンビールを配る人もいる。

泣いている人もいる。
抱き合う人もいる。
夢みたい、とつぶやくおばぁちゃんもいる。


「本土復帰以来の大事件」と地元マスコミは報道した。




たかが甲子園である。
でも、沖縄にとってはとても「たかが」で済まされる事件ではなかったのだ。

それは例えば、ブラジルの日本人街のサッカーチームが、ブラジルのユース・リーグで優勝したような・・・

そう、彼らは「民族の子供」みたいな目で球児たちを見ていた。

そして、皆がどこかで「対本土」という意識で団結していた




わー、やったー、勝ったー、ざまぁみろー!




東京のキー局が流すニュースでは「沖縄県民は大喜びで・・・」などと平面的な報道しかなかったが、ボクはこの耳で、いくつもの「ざまぁみろー!」を聞いた。

それは、もちろん、相手の高校生たちに対する言葉ではない。

ざまぁみろー!と叫ぶその気持ちの裏には、「対本土」の複雑な感情があるのである。





ある新聞に、栽監督(沖縄水産)の何年か前の言葉が載っていた。

「大旗が海を渡るとき、沖縄の戦後が終わる」




優勝旗が海を渡って沖縄に来たとき、はじめて沖縄は「本土なみ」になる。
はじめて「県民根こそぎ動員された沖縄戦の言いしれぬ苦しみ」「米軍本土上陸阻止の捨て石とされた悔しさ」そして「侵略を重ねられてきた琉球国としての複雑な対本土感情」などが、本当の意味で解消される・・・



逆に言うと、まだそういう生々しい感情が、沖縄人の中に巣くっているということである。





本土に住むボクたちは、この言葉の意味を、もっと真剣に、敏感に、考えなければいけないのではないだろうか。






一週間前のことも遠い過去になってしまうくらい速い、日本の時の流れ。

戦争のことなど、あまりに遠い過去である。



でも、それを、ずっと胸につかえさせている民族が、同じ国に、いるのである。










沖縄出身のデュオ、キロロの「長い間」で始まった今年の甲子園は、沖縄県の、春夏通して初めての優勝で、幕を閉じた。


栽監督の言うとおり、沖縄の戦後の幕は、果たして閉じたのだろうか。


ひょっとしたらそれは、沖縄出身の総理大臣が出るまで、閉じないのかもしれない。



沖尚優勝



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