もう一週間以上も前のことになるけれど。 ・・・というか、たった一週間ちょいなのに、 甲子園のことなど、もう記憶の彼方だよね。 やっぱり時の流れ方が、異常だ、日本は。 沖縄尚学高校が甲子園で優勝したとき、ボクたち3人家族は、ちょうど沖縄にいたのだった。 4月2日の準々決勝、対市川戦。 ボクたち家族は沖縄南部、糸満の公設市場にいた。 勝った瞬間、市場のおばちゃんたちは包丁をまな板に「ダンダンダンダン!」とリズミカルに叩きつけ、大声出して喜んだ。 「勝ったー! やったー! ざまぁみろー!」 4月3日の準決勝、対PL学園戦。 ボクたち家族は沖縄南部、新原(みばる)ビーチのグラスボート乗り場の事務所にいた。 勝った瞬間、そこに集まった地元のおっちゃんたちは走り回って喜んだ。砂は飛ぶ、オリオンビールは飛ぶ、オウムは叫ぶ、犬は鳴く。 「おおおお〜〜〜! PLに勝ったぞ〜〜〜〜!」 4月4日の決勝、対水戸商業戦。 ボクたち家族は那覇一番の繁華街、国際通りを歩いていた。 普段は宇多田ヒカル一色の土産物屋のBGMも、今日はどこも決勝戦のラジオ。 いや、それどころではない。 パチンコ屋も書店もショッピングセンターも沖縄そば屋もホテルの廊下も、すべて決勝戦のラジオをBGMに流していた。 勝つ瞬間を狙って、那覇の公設市場へ行った。 働いているおばちゃんたち、まるで仕事が手に着かない。 8回くらいから、ドラムカンを棒で叩き出して、9回になったら三線(三味線)が鳴り出した。 各所に置いてあるテレビ前は黒山の人だかりとなり、すべての目が画面に集まる。 おばちゃんたちは店を開けてテレビ前に集まってくる。 万引きとかキャッシャー狙いとかは大丈夫かよ、と心配になって、ボクはそれとなく回りに目を光らせてしまったりして。 早くも踊り始めている人がいる。 どこかで太鼓が鳴っている。 あちこちで指笛が響いている。 勝った瞬間。 春夏の甲子園を通して初優勝した瞬間。 喜びは、さながら爆竹のように、各所でそれぞれの音で炸裂した。 踊り狂う人もいる。 バンザイしながら走り回る人もいる。 さあさ、飲もう飲もうとオリオンビールを配る人もいる。 泣いている人もいる。 抱き合う人もいる。 夢みたい、とつぶやくおばぁちゃんもいる。 「本土復帰以来の大事件」と地元マスコミは報道した。 たかが甲子園である。 でも、沖縄にとってはとても「たかが」で済まされる事件ではなかったのだ。 それは例えば、ブラジルの日本人街のサッカーチームが、ブラジルのユース・リーグで優勝したような・・・ そう、彼らは「民族の子供」みたいな目で球児たちを見ていた。 そして、皆がどこかで「対本土」という意識で団結していた。 わー、やったー、勝ったー、ざまぁみろー! 東京のキー局が流すニュースでは「沖縄県民は大喜びで・・・」などと平面的な報道しかなかったが、ボクはこの耳で、いくつもの「ざまぁみろー!」を聞いた。 それは、もちろん、相手の高校生たちに対する言葉ではない。 ざまぁみろー!と叫ぶその気持ちの裏には、「対本土」の複雑な感情があるのである。 ある新聞に、栽監督(沖縄水産)の何年か前の言葉が載っていた。 「大旗が海を渡るとき、沖縄の戦後が終わる」 優勝旗が海を渡って沖縄に来たとき、はじめて沖縄は「本土なみ」になる。 はじめて「県民根こそぎ動員された沖縄戦の言いしれぬ苦しみ」「米軍本土上陸阻止の捨て石とされた悔しさ」そして「侵略を重ねられてきた琉球国としての複雑な対本土感情」などが、本当の意味で解消される・・・ 逆に言うと、まだそういう生々しい感情が、沖縄人の中に巣くっているということである。 本土に住むボクたちは、この言葉の意味を、もっと真剣に、敏感に、考えなければいけないのではないだろうか。 一週間前のことも遠い過去になってしまうくらい速い、日本の時の流れ。 戦争のことなど、あまりに遠い過去である。 でも、それを、ずっと胸につかえさせている民族が、同じ国に、いるのである。 沖縄出身のデュオ、キロロの「長い間」で始まった今年の甲子園は、沖縄県の、春夏通して初めての優勝で、幕を閉じた。 栽監督の言うとおり、沖縄の戦後の幕は、果たして閉じたのだろうか。 ひょっとしたらそれは、沖縄出身の総理大臣が出るまで、閉じないのかもしれない。 |

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