お宝奪取作戦  --98.09.28




「ジョイナーが亡くなったんですって」

 21日の朝、先に起きていた優子がそう言った。

「え・・・あのジョイナー?」
「そう、フローレンス・なんちゃら・ジョイナー」
「フローレンス・グリフィス・ジョイナー!」
「それそれ」



新聞を広げる。

心臓発作・・・38歳かぁ・・・ボクとひとつ違いかぁ・・・

なんだかすごく遠い昔のようだなぁ・・・ソウル・オリンピック・・・あの撮影・・・







ボクは仕事でジョイナーと会ったことがある。

とっても急ぎのきつい仕事で、あたかも地獄のようであったが、それはそれで非常に印象的な仕事でもあった。

あれはソウル・オリンピックの閉会式が終わった翌日だった。
閉会式に出た足で彼女は来日した。

ほとんどお忍び。

だって、閉会式の翌日である。
100メートルと200メートルで金を取って絶頂にいた彼女が都内のスタジオにいるなんて知れたら、マスコミが大騒ぎする。
当時、世界のマスコミがもっとも注目していた女性なのである。


しかもそれだけではない。

同じスタジオに、やっぱり閉会式から直行してきたカール・ルイスまでいたのである。
彼も100メートルで金を取ったばかり。
まぁ彼の場合、金を取ろうが取るまいが、スーパースターであったのだが。


当然、スタジオの内外は厳戒体制が引かれた。
このふたりを迎えて、スタジオ内はピリピリしていた。



それにしても、ジョイナーもルイスも、近寄り難いくらい輝いていたなぁ。

「輝いていた」などという陳腐な表現など出来れば使いたくないのだが、あの状態に「輝いていた」という表現を使わなければいつ使うのだ、というくらい、まさに輝いていたのだ。

あれは「オーラ」みたいなものなのだろうか。
まぶしいのだ。そして、気圧される。

オリンピックのために最高の状態に鍛え上げられていた肉体が、勝利という自信を得てますます光を発しているのだ。

人類が到達できるある完成形があそこにあったのだと、ボクはいまでも確信している。
いま思い出しても気圧されてしまう。なんだったんだ、あの美しさは・・・。


・・・ただ、このふたり、仲が悪かった。

ルイスが「ジョイナーは絶対ドーピングしている」などと不用意な発言をしたからである。
ジョイナーは当然激怒していて、ルイスと話そうとしないし、ルイスもジョイナーに近づかなかった。






さて、ここからがボクの浅ましいところである。

ボクが思ったのはこうだ。


  ■歴史に残るふたりがボクの前にいる。

  ■男女それぞれの100メートル金メダリストで、
   しかも話題満載のスーパースターである。

  ■人類有史以来一番早いふたりが、
   このボクの目の前にいるのである。

  ■しかも、オリンピック閉会式の翌日なんていう
   凄いタイミングである。

  ■密閉されたスタジオ内で、人数は少ない。
   マスコミも来ていない。

  ■そして、ふたりは仲が悪い。




チャーーーーンス!

このふたりから「同じ色紙にサインをもらう」なんていう離れ技をやってのけたら、ひょっとして「大お宝」になるのでは?!





・・・品性下劣というなかれ。

あなたもその場にいたらそう思うってば!(そうか?)



ただ、さすがに「同じ色紙」というのは無理だろう、とボクも考えた。

だって、スターはただでさえ連名を嫌う。
そのうえ、仲が悪い相手との連名などしてくれるはずがない。
そのうえそのうえ「カール・ルイスはサイン嫌いらしい」という噂がスタジオ内で流れていた。




うーん・・・なんとか方法はないだろうか。

別々の何かにサインしてもらうのは何とかなりそうな気がする。
カール・ルイスだって、機嫌を見計らえばなんとかなるだろう。

けど、それでは意味がない。
そんなもの、持っている人はたくさんいるはずだし、もともと単なるサインなど興味がないのである。どんなタレントに会っても、別にサインなんか欲しいと思わない。

ボクは「ふたりが同じものにサインしたもの」が欲しいのだ。
色紙でもTシャツでも帽子でもなんでもいい。
仲の悪い世界最高記録保持者に、どうにかして「同じもの」上にサインをさせたかったのだ。
その稀少価値にかけたかったわけ。



そして、ようやく考えついた。

ふたりにサインさせることが出来る「同じもの」。しかもインパクトもあって、意味的にも最高のもの・・・

ボクはそのものを手に入れるために、遅れてくるはずの後輩に電話をかけた。
彼は前の仕事が押していて、いまはまだ渋谷にいるはずである。



「おお、**か?
 あのさ、こっちに来るときにSEIBUに寄って 、
 アレ買ってきてほしいんだけど。
 そう、アレ。
 うん、お金はあとで払うから建て替えておいて。
 じゃ、よろしく!」






粘ってもしょうがないから、もう答えを明かす。

それは、シューズである。

ソウルでルイスが履いて金メダルを取ったのと同じモデルが「競技用カール・ルイス・モデル」としてミズノから出ているのだ。

これの片っ方ずつに、ふたりの世界一スプリンターからそれぞれサインをもらったらどうだろう、というのがボクの考えた結果なのだ。


おお、我ながら素晴らしい考えではないか!

片っ方ずつだから連名と気付かれにくく、一足揃うと結果的には「ジョイナー&ルイスの共作」という形になる。
それにスプリンターからサインをもらったのがシューズというのがまたいいではないか。
しかも「ルイス・モデル」だからさしものカール・ルイスもサインを断りはしないだろう。



ただ、ジョイナーにもらうときがちょっと難しい。

彼女もシューズはミズノである。ランバードだ。
だからその点は大丈夫なのだが、ただ、これが「ルイス・モデル」とばれた場合、彼女の逆鱗に触れる可能性があるのである。
そしたらサインをもらうどころか撮影までおぼつかなくならないとも限らない。





「佐藤さーん、これこれ!」

おお、**君、サンキュウ、サンキュウ!

中を確かめる。うん、ルイス・モデル。はい、お金。意外と高いなぁ。そんなに高いなら失敗出来ないなぁ・・・。
競技用だからスパイクだ。しかもカカトにはスパイクが付いていない。異様な形態である。そしてまた異常に軽い。これで走ったのかぁ・・・



いやそんな感慨に浸っている場合ではない。いつルイスやジョイナーが気まぐれでホテルに帰ってしまうとも限らない。急がねば!


まずはカール・ルイス。
えーと、こういう時はなんて話しかけるんだ?
丁寧な方がいいよな。ってことは「Could you sign your name on this shoe?」かねぇ。
あ、でもこのsignって英語は署名みたいなニュアンスだったかもしれない。それだとおかしいなぁ。えーと、えーと、サインって英語でなんて言うんだ? いや、サインは英語だけど、たしか、有名人のサインとかの場合、違う単語があったような、あ、ルイスと目があっちまった、今がチャンス!、けど、なんて言おう、えーと、と、と、・・・




「ハ、ハロー・・・サ、サイン、プリーズ!」



シューズとサインペンを突き出す。
あー、能無し・バカ・ミーハー・低能・最低・恥・・・・


「オー、マイモデル、ユーノウ、ナンチャラコーチャラ」
「イ、イエス」
「オー・・・(スラスラスラ、ポイッ)」
「サ、サンキュ・ベリマッチ」



赤面である。

でも、まぁ大変機嫌よくサインをしてくれた。
やっぱりルイス・モデルが効いたようだ。
とりあえず作戦第一段階はあっけなく成功である。

よし、次はジョイナーだ。




ジョイナーはスタジオの反対隅で旦那のアル・ジョイナーと仲睦まじくしていた。
機嫌は良さそうである。
ルイスにサインしてもらったシューズをしまい、もう片方を持ってジョイナーの元に行く。
ルイス・モデルとばれないことを願うのみである。
お、ちょうど話がとぎれている。チャーンス!
ええと、もうわからんから「Could you sign your name on this shoe?」で行ったれ。




「エ、エクスキューズ・ミー、クッジュー・・・」

「ハーイ、ハウユードゥーイン」

「ハ、ハーイ・・・」



い、いかん、どうすればいいのだ!

こ、こんなにジョイナーがきさくとは思いも寄らなかった。握手? はぁどうも、ナイス・トゥ・ミーチュー。くー、例の長い爪がちょうど手首の動脈の辺りにあたって怖い。ああ、そんなに大きな目で見つめないでくれ! そういえば「きさくなあのこ目をとじとじ」なんて古いネタがあったなぁなんて思い出している場合ではない。ああぁ、アルまで来た。ハイ、マイネイムイズ・サトー。ファイン。あぁ、世間話するな、わからん! とりあえずコングラッチュレーションって言っておくか・・・ああ、そんな早くしゃべるな。しかもナマリがきつくてよくわからん!
ああ、そんなことよりサインだ。人が集まってくる前にもらわねば・・・どうしよう・・・サイン、サイン、サイン・・・・・




「アーーーー・・・、サイン、ジス」


「?・・・ジス?
 アー、オーケー・・・(スラスラスラ、ポンッ)」







ボクは、その時、確実に日本の恥であった。


あいまいに笑う口元。要領を得ない会話。卑屈な目つき。
くそ。
なんてこったい。大学まで出ておいてこれかよ、ちくそー!
あしたから英会話学校行くぞ!!!



そう決心しながら、彼女に感謝の握手をもう一度する。

その大きな目。
そのハスキーな声。
その盛り上がった肩の筋肉。
そのうっすら髭が生えはえた口元・・・(!)。

ジョイナーはとってもいい人だった。
確かにドーピングしていると疑われても仕方がないくらい男っぽかったが、でもとってもいい人だった。
きっとルイス・モデルと気がついていただろうに(そりゃ第一人者だもん、わかるだろう)何にも言わず微笑んでサインしてくれた。



「サンキュー!」


最後のサンキューだけ、上手に言えたが、言ったあとお辞儀をしてしまったのがまた情けない・・・。



ジョイナーよ
草葉の陰のジョイナーよ。
あのおばかな日本人のことは忘れてくれ!(覚えてないって)




まぁそんなこんなで、さとなお家のお宝となったミズノ・ランバード・シューズ・カール・ルイス・ソウル・モデルは、ボクの「英会話決心」のモニュメントでもあるのである。

これを見る度に、英会話を学ぼう、と新たな決心をするのである。





「でもあなた、これずっと押入れの奥深くしまってあったじゃない」




だから!

今日から英会話勉強しようって決心したんだってば!

まずは、さしあたって、天国のジョイナーに伝えることから始めよう。

一方的で、とっても会話とは呼べないけれど。







Thank you !! & See you later !! …(簡単な英語すぎます)






左がルイス。右がジョイナー。
靴底。カカトのところは足袋みたい。



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