執行猶予な日常  --98.05.28




普段からそれなりに人生を鍛えていたつもりであったが、さすがに医者のこの言葉を聞いたときはゾロリと血の気が引いた。肩のあたりが冷たくなった。



「腫瘍のおそれがあります」










年末に過労で倒れて以来だらだらとカラダの調子が悪かったが、基礎体力には絶大の自信を持っていたのであまり気にしなかった。まぁそのうち戻るだろう、と。

が、4月になってもなんだか調子が悪い。
あげくの果てに連休前にかなり深刻なある症状が出て、さすがのボクも重い腰を上げて総合病院へ行った。こりゃちょっとまずいかもなぁ・・・不安だった。



その症状は一回出たきりで後がつづかなかったので医者は首をひねる。いろんな可能性を考えていろんな種類の精密検査をした。そんな検査の精密検査のうちのヒトツが爆弾らしきものをボクのカラダの中に見つけてしまったのであった。



「しゅ、腫瘍って・・・ガン・・・でしょうか?」

「でもいまの段階では腫瘍か膿瘍か単なる炎症かわかりません。
 ただエコーで撮った影が大きいので・・・」

「大きいので・・・?」

「・・・とにかくすぐ、一応、腫瘍マーカーでもしてみましょうか」



・・・・・。
おい。日本語、変だぞ。
それでごまかしているつもりなのか?

腫瘍の疑いがかなり濃い、って言っているようなもんじゃ・・・・・?







それが5月15日(金)。

腫瘍マーカーというのは血を採って検査するもので、検査結果が出るのに2週間くらいかかるという。

死刑判決待ちまで2週間・・・

それは長く、
極めて長く、そして、心の中にゾザーッと風が吹きまくる2週間だった。




ガンという病気は例外を除いて5年生存率がゼロな病気だ。

治療で5年を6年7年と延ばすことは出来ても、基本的には死病である。

「ガンに勝った」というのは、宝くじレベルのラッキーと、時と機会と意志と愛が重なるというような人知を越えたナニカが必要である。


普通に考えたら、「死」「ぬ」 のである。




心の中で、ひときわ強い風が鳴く。








さて。

人間、異常事態であるほど冷静になることってあるよね。

ボクもその時そうだった。

「腫瘍かもしれない」という事実にショックを受けながらも「ん? ここで佐藤尚之はどういう態度に出るのだ?」と期待している自分がいたりした。


病院を出て、なんだか急に金が使いたくなり(わかってくれる?この欲求)、帝国ホテルの「久兵衛」に寿司を食いに行き、そこで絶品の生とり貝などを食べながら自分の反応を冷静に窺ってみる。


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驚くことに佐藤尚之は、

「まぁもう死んでもいいかな」

と納得をしていたのであった。








人生、美食と一緒で限りがない。

あれも見たい。これもしたい。あれも食べてみたい。あの海に行ってみたい。あの人に会ってみたい。あのワインを飲んでみたい。初夏を感じたい。ピアノを弾いてみたい。あの人と寝てみたい。あの温泉に入ってみたい。家も建てたい。恋もしたい。絵を描いてみたい。あの街にもう一度行きたい。あの本を読みたい。あの快感にまた浸りたい。あの山に登りたい。あの音楽が聴きたい。あの川で釣りしたい。いい映画をもっともっと観たい。あのリズムでずっと踊りつづけたい。鳥肌が立つような事件に出会いたい。想像もつかないことに出会いたい・・・・・・


きりというものが、まずない。



例えば、この生とり貝は抜群にうまい。
では、こんだけうまいのだからもう人生の最後の食事がこれで満足いくのかというと、そうはいかない。
他にもっとおいしいものを求めてしまうのが、人生というものである。

人生おなかいっぱい、っていう満足感は、正常な人なら持ち得ないのではないか。



人生も腹八分目が良い。

で、ボクは八分食べた気がする・・・



というか、どんな人生でも、きっと「八分」くらいはおなかいっぱいなのだ。

吉田松蔭が「どんなに短い人生でも春夏秋冬がある」と言ったけど、それはきっとこういう意味なのだ。人生はその時々でちゃんと完結しているのである。
若くして死んだから可哀想、とかいうことはきっとないのである。


ボクはまだ36歳だ。
けど、長く生きたからって「おなかいっぱい人生を生きた」とは限らない。
ボクはボクの歳なりに八分くらいはおなかが膨れている。

妻の優子や娘の響子のことを考えると背中がゾロリと冷たくなる。
が、ボクは永遠に彼女らと生きていけるわけではない。
別れは必ず来る。
早いか遅いかだけ、である。
濃密に仲のよい何年かをふたりとは過ごせた。
それだけでも幸せと思わなければいけないのではなかろうか・・・








長くイヤーな2週間を過ごしきり、
今日、ボクは病院に結果を聞きに行った。

若いときの腫瘍はすぐ進行するという。
まぁ腫瘍って診断だったらあと1年生きられるかどうか、だな。

人間、生まれたときから決まっている運命がひとつだけある。
それは、「必ず死ぬ」ということ。

明日かもしれないし、10年後かもしれないし、60年後かもしれない。

「死刑」自体は決まっている。ただいつそれが行われるかがわからない。

死刑の執行猶予、である。

もし今日、腫瘍でないとわかっても、執行猶予が長くなっただけである。
いや、明日事故で死んでしまうこともありえるから、何も延びていない、か。


人生とは執行猶予そのものなのだ。







    佐藤さーん





遠くでボクを呼ぶ声がする。

返事をする。

ドアを開ける。

一礼する。

丸い椅子に座る。



医者の目を見る・・・











  「腫瘍・・・










    ではないみたいですねー。
    この濃い影は他の臓器の映り込み、
    かな?
    とにかく腫瘍マーカーでは異状なし。
    他の検査も問題なし。
    結局、炎症、だったの、
    かな?」







かな?って可愛く首かしげんじゃねぇーー!!!


なんだか柄にもなくいろいろ考えちゃったじゃねーかよー!




とにかく、
 とにかく、
  とにかく、
   とにかく、

やったー!!執行猶予延長決定だぁ!






え? 人生腹八分?



そんなの空論空論! 不健康な人が考えること!


う〜〜〜〜〜〜〜〜〜!

あれも見たい! これもしたい! あれも食べてみたい! あの海に行ってみたい! あの人に会ってみたい! あのワインを飲んでみたい! 初夏を感じたい! ピアノを弾いてみたい! あの人と寝てみたい! あの温泉に入ってみたい! 家も建てたい! 恋もしたい! 絵を描いてみたい! あの街にもう一度行きたい! あの本を読みたい! あの快感にまた浸りたい! あの山に登りたい! あの音楽が聴きたい! あの川で釣りしたい! いい映画をもっともっと観たい! あのリズムでずっと踊りつづけたい! 鳥肌が立つような事件に出会いたい! 想像もつかないことに出会いたい!!!!!!!




こうして限りない煩悩に背中を押されたボクは「おなかいっぱいな人生」を目指すのである!



しかもこのおなか、実は底無し、なのである。





むひひひ。




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