ピース・ウォーク --03.03.09

 

日比谷の「World Peace Now 3/8」に夫婦で参加してきた。


NGOなど47団体が合同で開いた集会&ピース・ウォークである。
日比谷野外音楽堂で喜納昌吉やパンタ、制服向上委員会などの歌を聴き(バカにしていたが、制服向上委員会の反戦歌がとても良かった)、その後、日比谷野音〜新橋駅前〜電通通り〜数寄屋橋交差点(SONYビル)〜鍛冶屋橋(東京駅手前)と、パレード。

団体行動が苦手で、集会系が嫌いで、みんなで一緒に何かを叫ぶってかなりダサイと思っているボクではあるが、もうそんなことも言っていられない、と、いくつか予定を放り出して出かけた。シュプレヒコールもしないしプラカードも持たないが、参加だけはしよう、と。


「数」が大事だと思ったからだ。


イラクへの武力行使反対をアクションする国民がいっぱいいることを日本政府に伝えなくては(世論調査で「過半数が反対」というだけではムーブメントにならない)。
そしてなにより、日本にも戦争反対の人たちがいっぱいいるのだということを、世界に少しでも伝えなくては。

伝えるためには「数」が必要なのだ。

お茶の間で「やっぱり戦争はダメでしょ」とかブツクサ言っていても何も意味がない。言ってないのと同じだ。個人サイトで「戦争は反対!」と叫んでも政府にも世界にも届かない。単なる個人の意見表明だ。もっと言うと、池澤夏樹や辺見庸みたいに本まで書いて反対しても、政府にも世界にもめったなことでは届かない。

ボクたちレベルの表現で、一番届くのは、きっと「数」なのだ。

とにかく参加人数を増やすことに貢献しなければ。

 

結果、日本のこの手の集会としては過去最大の4万人を集めたらしい(主催者発表)。

ロンドンで50万人、パリで20万人、ニューヨークで25万人などのデモに比べて笑ってしまうくらいささやかだが、日本での1月18日、2月25日の集会が5000人程度のものだったのを考えると、数倍単位で増えていってはいる。


つか、「3/17がXデイと言われるほど切羽詰まった状況だもん、日本のスタンス情けないもん、最低でも10万人は来るだろう。新橋まで行く電車も混み混みかも〜」と考えていたボクが甘かったっす(泣)。もうちょっと集まると思っていたのだけどなぁ・・・

 


・・・まぁ「戦争は反対だけどデモはちょっとなぁ」と言う人の気持ちもよくわかる。

戦争反対とひと口に言っても、各人それぞれ主張に温度差はあるし、団体行動になった時点でそれらの少数意見は飲み込まれてしまう。かといって思想が一致したらしたで大きくふくれあがって暴走しがちだし、遠い延長線上には赤軍的&ナチス的行動を生まないとも限らない(団体の狂気という意味で)。
デモをして実際に効果があった前例も少ない。デモに同乗するわけわからない思想団体(and 革命団体)がいるのもうざい。
シュプレヒコールも恥ずかしい。プラカードも恥ずかしい。正論なのも恥ずかしい。イイコトをしている感じも恥ずかしい。

とてもよくわかる。

でも、そういうマイナス要素を差し引いても、今回は「数」が大事だと思うからボクは参加した、と、要はそういうことですね。←自民党の数の論理と似ているとちょっと思ったが、ここはさらりと流そう。

 


参加して良かった。

深く考えずお祭り騒ぎレベルで参加している人も多いのだろうなぁと漠然と思って行ったのだが、そんなことはまるでなかった。

若い人たちがあんなにも真剣に戦争反対を訴えている姿にちょっと涙ぐんだくらいである。捨てたもんじゃない。

普通のおじさんおばさんの参加が多いのにも感動した。本当に普通の人たち。個々に考え、個々に「なにもできないけど、なんとかしなくては」と集まった人々。「デモなんて初めて〜」な一般人(ボクたち夫婦含む)の、とまどいながらの参加が目立っていた。

そして、みんなとてもニコヤカで良かった。
傍観者をやめて、小さいながらもアクションを起こした人々特有の明るさがあった。なんつうか前向きな「気」が充満していたな。あの「気」にあたるだけでも行った価値あったかもしれない。

 

 

もちろん、アメリカ-イラク問題は「とにかく戦争は反対!」と叫んでデモれば済むほど単純ではないかもしれない。

悩んだあげく、戦争(武力行使)賛成の立場を取る人もいるだろう。

アメリカがイラクに「戦争するぞ」と圧力かけているからやっとフセインが査察に前向きに応じているという現実もある。もし今回武力行使しなければ、イラクは世界を甘く見て今後査察に協力しなくなる可能性もある。秘密裏に兵器製造を再開するかもしれない。そうなったとき、「戦争反対!」と叫んだ責任は取れるのか。

イラクの大量破壊兵器が(まだ持っているとして)テロ組織に渡る危険も確かにある。いまのうちに芽を摘んでおかなくていいのか。テロが東京で起こって家族や知り合いが殺されても我々はちゃんと「報復反対」「戦争反対」を唱えられるか。アメリカが言うように国連の査察が不完全だったらどうするのか。

イラクでフセイン圧制下に抑圧されている人々を救い出すのだという人もいる。どう考えてもフセインは世界の癌だから取り除かないといけない。イラクの民主化は中東和平の第一歩であって、さまざまに抑圧・弾圧されている人々を救うことが、民主国家である我々の義務なのだという考え方だ。

また、大量破壊兵器を製造しても武力行使されないという前例を作ると、今後他国が国連をバカにして製造を促進することだってありえる。今回の戦争阻止が、将来のもっともっと大きな戦争を引き起こす原因になることだってありえるのだ。

そして、日本としては、アメリカに逆らうのは国益上良くないという考えも根強い。
将来、北朝鮮という火薬庫が暴走した時、アメリカに助けてもらわなかったらどうするのだ、とにかく守って下さっているアメリカに賛成しておくべきだという考えだ。アメリカに反抗すると貿易上も制裁を受ける可能性がある。この不況下、アメリカに逆らうことは国益上最悪だ、ということだ。
個人的には恥ずかしくて穴に入りたいほど「あさましい意見」だと思うのだが(損得で考えるのは経済立国だから仕方ないんだろうねぇ)。

 


一方で、イラクは大量破壊兵器など持っていないし、隠し持っていたとしてもいまでは機能しないと明確に訴える人もいる。

元国連査察官でイラクを長く査察したスコット・リッターは「イラクにおける大量破壊兵器は90〜95%まで、検証可能な形で廃棄された。残りの5〜10%はいまの監視下では機能しない。核兵器とその施設は98年の時点で100%廃棄された。その後作るには莫大な資金と巨大な施設と技術がいる。それをイラクが持っていないことについては議論の余地はないし、作ってもすぐ検知できる。サリンなどの化学兵器は貯蔵寿命が5年であり、いま隠し持っているとしても無用無害のヘドロ。98年以降それらを生産する手段がないことは断言できる」と語っている。

つまり、アメリカが言うような大量破壊兵器の脅威はないと断言しているのだ。
そしてそれを裏返す物的証拠をアメリカは提出していない。本来なら、証拠を提出してはじめて「武力行使か封じ込めか」という議論が始まるはずなのに、その手続きすらアメリカは取っていない。そして「疑わしい」というだけでイラク人民に空爆をしかけようとしている。

フセインの独裁圧政についても、いろいろな見方がある。
去年の10月にイラクを訪れた池澤夏樹氏は、つぶさに一般人の生活を見たうえで「まずもってイラク国民の問題であり、他の国が武力を使ってまで是正すべきことではない。封建領主そのままのサウディアラビアの体制や、アラブ系の国民の権利を蹂躙しつづけるイスラエルの政府を容認したままサダム・フセインの政府を非難するのはフェアではない」と書いている。

だいたいその独裁を助けてイランのホメイニと対決させたのはアメリカであり、クウェートとの紛争の遠因を作ったのはイラクから無理矢理クウェートを切り離したイギリス植民省。その責任も後始末も問われず、ただ「独裁者は消せ」でいいのか。

また、イラクに武力行使したとしても、大量破壊兵器製造の抑止力にはならないという考えもある。
中東地域全域からの大量破壊兵器撤去という国連決議に違反しているのはイラクだけではない。イスラエルなどその最たるものだ。イスラエルは見逃しイラクは見逃さないみたいなダブルスタンダードをやっている限り、イラクに武力行使しても抑止力の前例にすらならない。つか、10000個の核弾頭を持っているアメリカがそれを言っている時点で論理は破綻している。

それどころか「国連決議なく他国を先制攻撃できるアメリカ」という前例を作ると、各国に恐怖を植え付けるだろう。「アメリカから我が身を守るには大量破壊兵器を所有しなければ」という流れが起きないとも限らない。逆効果だ。

テロ組織とのつながりでも、フセインとアルカイダのつながりは歴史的にありえないとの意見が主流。
フセインは過去30年間、イスラム原理主義を目の仇にするのみならず、ワッハーブ主義(ビン・ラディン所属)などの布教に死罪をもってのぞんでいる。ビン・ラディンはフセインを名指しで「背教者」と呼び、宿敵扱いしている。

イラクからではなく、アメリカやイスラエルから大量破壊兵器がテロ組織などに流出する可能性だってある。それはどうやって防ぐのか。

武力行使後、アラブ地域はより混迷の度を深めるという説も根強い。
あそこらへんは民族が入り組んでいる上にイスラーム国家独特の価値観がある。戦後の日本にしたように民主化(アメリカ化)手術をしても、日本のようにはうまくいかないという意見が強いのだ。

 

 

などなど。
いろんな意見がある。

他にも、石油の利権とか、アメリカ帝国の始まりとか、国際政治のパワーバランスとか、宗教同士の戦いとか、新資本主義の必然とか、ネオコンの操作とか、共和党の票のためとか、さまざまな意見が語られる。

どれが正しくてどれが正しくないか、そして、ボク自身はどのスタンスに立つのか、いろんな意見を読んで考えてきたつもりだ。


そして、紆余曲折、いろいろ考えたあげく今思う。


なにがどう正しいかなど、実はまるで関係なく、
ただシンプルに 「戦争反対!」だけでいいではないか、と。


当たり前の結論だ。何を今頃と思う方も多いだろう。
でも、とかく頭でっかちに考えがちだったボクは、どこかに「正しい理由」があるのではないかと探してしまい、遠回りをした。
家族を守るための戦争、国を守るための戦争、平和を守るための戦争、などの美辞麗句に惑わされ、そういうものもあるかもしれないなぁと、本質から遠ざかっていたのである(ハリウッド製戦争映画の影響もあるかもしれない)。


でも、今なら思う。

同じ人類同士、殺し合う正しい理由などなにもない。
子供を殺す正しい理由など、どこにも、ない。
同じように笑ったり泣いたりして生きている人間を殺す正しい理由など、ありえない。

だから「戦争反対!」というより、ニュアンスは「人間を殺すな!」に近いかな。




「アメリカには大義がないから戦争反対!」とか思ってきたけど、そうではなく、単に「戦争反対!」「人間を殺すな!」。
よしんばアメリカに大義があったとしても、「戦争反対!」「人間を殺すな!」。
たとえ北朝鮮が日本に爆弾落として、ボクの家族が犠牲になっても、「戦争反対!」「人間を殺すな!」。


結局それでいいんだ、と、今さらながら思っている。
日本の国益?
日本の国益はアメリカに守ってもらうことでも、経済的友好関係でもない。日本の国益はきっと「戦争をしない」「人を殺さない」という志だ。信念だ。誇り高い非戦国民であることこそ、国の志気を上げ、日本の元気を生む。そしてそれこそ国益なのだ。

 


人類の歴史は「勝てば官軍」の繰り返しだった。
そしておおむね「官軍の価値観」が新しい時代の「正しいこと」になってきた。 そう、つまり「正しいこと」はこれからも官軍によって変わり続ける。だから何が正しいか、何が正義かを追うことにたいした意味はない。

でも、「変わらず正しいこと」も、数少ないながら、あると思う。

たとえば、

 

人類がずっと生きていく、この地球の環境を壊さないこと。

同類として一緒に繁殖していく、われわれ人間同士が殺し合わないこと。

 

たぶん、これらは、変わらずに正しくあり続けるだろうとボクは信じる。
昔ならいざ知らず、少なくとも一度こういう意識に至った人類は、これが正しいと知っていると信じる。

 


だから、シンプルに叫び続けたい。
子供っぽいとか、思考停止とか、青臭いとか、無責任とか言われようと、ただただシンプルに世の中にリマインドさせ続けたい。

どんな事情があれ、どんな正義があれ、そしてたとえ家族の命が危険にさらされたとしても、人類が後戻りしないためにこう呼びかけ続けたい。

 

 

 

 

 

戦争、反対!

人間を、殺すな!

 

 

 

 

 

 

 

日比谷野外音楽堂での集会。

音楽堂がいっぱいで入れない人の方が多かった。
特にここは一般人の参加が目立っていた。

パレード出発前。

40000人が一車線を順に歩くので、渋滞が起こってなかなか出発できない。

出発前に沖縄エイサー隊が数組踊って励ましてくれる。
とにかく沖縄からの参加は目立った。

 

普通の人たちのパレード。

鳴り物もなく、プラカードもなく、ただ静かに歩く人も多い。それはそれでいいと思う。それぞれの性格によって、アピールの仕方は違っていいのだ。

 


 


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