10.07の意味 --02.10.07

 

先々週に読んだ「南の島で暮らす日本人たち」(井形慶子著/ちくま文庫)によると、ミクロネシア憲法の序文は、こう始まるのだそうだ。

 

  海は我々を分かつのではなく
  一つにしてくれる
  島々は我々を支えて
  大きく たくましく してくれる
  いかだやカヌーで海に漕ぎだした時
  ミクロネシアの歴史は始まる
  ミクロネシアの民族は
  星の中を航海した時代に生まれた
  世界は一つの島なのだ
  我々はここより他に祖国を望まない

  戦争を知ったが故に
   我々は平和を望む

  分割させられたが故に
   我々は統一を望む

  支配されたが故に
   我々は自由を求める

 

 

感動的な序文だ。
過去を素直に尊んで、現在をしっかり理解して、未来をくっきり希望している。
こんな文章を読むと、ちょっと安心する。
ボクたちにはまだ進んでいける場所がある、という希望が湧いてくる。


・・・実は、ボクたちはとてもヤバイところにいるのではないか、と、この頃ちょっと思っている。
やっとこの頃そう思いだしたという鈍感さは許してくれ。でも、ここをちゃんと乗り越えないと、人類に平和はもたらされないのではないか、と、なんだか悲観的だったりする。青臭くて申し訳ないが。



とりあえず、10.07を乗り越えないと、先に行けない気がするのだ。

 

 


10.07。


一年前のちょうど今日(現地で7日夜。日本時間8日未明)。

ブッシュ米大統領は、9.11の同時多発テロに対する対アフガニスタン報復攻撃を開始した。

 


その報復攻撃がいかに理不尽なものだったか、誰でも知っている。
なにしろ、テロを計画した大罪人がいるかもしれないからって、その温床的国家らしいからって、無関係な市民含めて爆撃しちゃうというのだ。子どもでも理不尽だとわかる。


アメリカ人の悲しみも憎しみも恐怖も、メンツもわかる。
裏の事情もいろいろ耳に入ってくる。
でも。
それにしても、報復攻撃は理不尽だ。
アフガンの市民は無実すぎる。

 

え?
ボクが「乗り越えるべき」と思っているのは、憎しみという感情かって?
経験した哀しみを報復に使ってはいけない、ということかって?

 

 

それも大事だが、ちょっと違う。

 


ボクが乗り越えないといけないと思っているのは、「誰ひとりブッシュを止め得なかった」という事実だ。

 

 

ボクたちは、ブッシュの理屈が理不尽だと知っていた。
で、理不尽な理屈がまかりとおった過去の大戦争を、様々な虐殺を、ちゃんと教訓にしてきたはずだ。

 

でも、誰も、ブッシュを止められなかった。


世界には偉大な知性がたくさん存在していたのに、誰ひとり、ブッシュを、そして憎しみに目を曇らせたアメリカを、止めることができなかった。

 

愛と平和を訴えてきたあらゆる知性も、

愛と平和を訴えてきたあらゆる言論も、

愛と平和を訴えてきたあらゆる芸術も、

愛と平和を訴えてきたあらゆる音楽も、

愛と平和を訴えてきたあらゆる宗教も、

愛と平和を訴えてきたあらゆる哲学も、

愛と平和を訴えてきたあらゆる科学も、

愛と平和を訴えてきたあらゆる法律も。


つまり、人類が平和のために営々と築き上げてきたあらゆる活動も、ブッシュが理不尽な戦争をしかけるのを、そしてある意味「虐殺」に及ぶのを、結果的に止めることが出来なかった。


戦争の悲惨さを伝える幾多の書物や映画も、愛と平和と想像力を訴えるジョン・レノンの歌も、死を賭した勇気ある人々の言論も、博愛を訴えるキリスト教も、ありとあらゆる平和的闘争も、ある暴走する権力の前では無力だったのだ。


しかもそれは全体主義の国ではなく、世界で一番民主的な国で起こった。
世界で一番自由に発言することが許されている国でも、まるで無力だったのだ。

 



それが、10.07の意味だ。

人類が一歩ずつ築き上げてきた平和への活動は、ここで一度全否定されたも同然だと、ボクは感じる。


9.11の数倍、重い。

 




忘れてはいけないのは、9.11ではなく、きっと10.07だ。


いままで試みてきたどんな願いも活動も「暴走する権力の前では無力なのだ」という現在の事実をちゃんと知ることだ。


知った上で、その無力感を乗り越えることだ。


いままでのやり方では平和は訪れないと深く自覚して、新たな何かを始めないといけない日だ。

 

 


うはは。青臭くてスマン。
でも、個人的に10月7日を忘れないために、恥を承知で書き記しておきたい。

 


いままでの人類のやり方では何がいけなかったか・・・

いけないことは何もなかった、とボクは思う。


ただ、単に「参加者が少なすぎた」だけなのだ。きっと。
一部の表現者を除いて、みんなが傍観者だったのだ。


暴走する権力を止めるには、それなりの人数がいる。
絶対量の問題だ。


例えば、ジョン・レノンの歌はみんな聴いてはいたが、そしてその歌の内容を理解してはいたが、みんな行動に移さなかった。あらたに自分で歌を作ることもしなかった。
そういうことだ。
愛と平和への訴えが、量的に足りなかったのだ。
愛と平和を訴える声の絶対量が、きっとまだ足りなかったのだ。

 


  戦争を知ったが故に
   我々は平和を望む

  分割させられたが故に
   我々は統一を望む

  支配されたが故に
   我々は自由を求める



いままでの人類有志の活動で足りないなら、その倍、その3倍、その4倍の有志が活動をはじめないと、きっと10.07はまた起こる。


一部の言論人や芸術家、音楽家、法律家、活動家に任せたままにせず、ボクたちが量的に、いろんな方面から平和を訴えないと、第2の10.07、第3の10.07がきっと起こる。


10.07は、傍観者で良しとしていたボクたちが乗り越えるべき、大きな試金石なのだと思う。

 



あれから1年たった今。
ブッシュはまたしても理不尽な戦いにのぞもうとしている。

 

 

ボクは傍観をやめて、微々たりといえども、なにか始めたいと思う(このサイトで始める、という意味ではない)。
平和に関しては、サイレント・マジョリティでなく、アクティブ・マジョリティになろうと思う。

それは平和デモを行うとか、具体的な活動のことではない。
ちゃんと旗色を明確にし、照れずに、自分が今出来る貢献をちゃんとしていく、ということだ。傍観者でいない、ということだ。

 

 

うーむ。
読み返してみたらなんか「24時間テレビ愛は地球を救う」ちっくな文章に思えてきた。


でも照れずに行こう。


ボクたちは、やり方を変えなければいけない。

一部の人にまかせているだけでは、10.07は必ずまた起こる。

 




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