10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、0!!! うおーーー!! 21世紀、あけましておめでとーーーー!! 北海道のムツゴロウさんの家でのカウントダウンで始まったボクの21世紀。 21世紀・・・ 22世紀をこの身で迎えることはありえない。 わが娘ですら、22世紀には105歳。 100年経てば、この世は総とっかえ。 別になにか感慨があるわけではないけれど。 手塚治虫さんとか星新一さんとか。 彼らはきっと「21世紀」をその目でその肌で感じたかっただろう。 身をよじるくらい、21世紀に憧れていただろう。 ボクらは、幸せだ。 それがどんな世紀であろうとも、彼らが熱望し夢を見た21世紀を、こうして生きて迎えている。 なんの不満があるというのだろう。 初詣で、思わず「今年もいい年になりますように」とつぶやく自分に気がついた。 ダメだよ、オレ。 いい年になりますように、なんていう受け身の言葉はもう使ってはいけないのだ。 いい年にするのは、自分だ。 神様にいい年を与えてもらうわけではない。 そういう小さな、無意識の「受け身」を、片っ端から消していかなければイケナイ。 今年は(なんと)40歳になる。 はっきり言って「もう若くない自分」が嫌いではない。 若ぶったりも、この頃していない。 若くなりたいとも、思わない。 若者に、その若さに、嫉妬もまるでない。 40歳なり、でよろしい。 でも、ただひとつ。 「ああいう40歳もいいな、なりたいな」と若者に思われるような40歳でいたい。 年をとることが楽しみになるような、そんな年上がもっともっといっぱいいたら、若者たちは自然に変わる。 犯罪を多発させる17歳を批判・分析する前に、もっと彼らが前向きに生きたくなるような人生を「提示」しよう。 生き続けていれば楽しいことっていっぱいあるんだな、って彼らにもっと思われよう。 大人になるのがイヤだ、社会に出るのがうざい、なんて言われて悔しくないか。 「大人になりたい、なってみたい」と心底思わせてみようではないか。 テレビやら新聞やらネットやら。 いろんな人の21世紀への想いを見たり読んだりした。 とっても違和感を感じた。 なんでみんな、そんなに客観的なんだろう。 21世紀を作るのはボクたちだ。ボクたちが主役なのだ。 「どんな21世紀になるか」ではなく「どんな21世紀にするか」をもっと語ろうよ。 もっと参加しよう。 なにかが不満ならソレを変えていこう。 高見の見物はもうやめよう。 なんでも政治や社会や景気のせいにするのはやめよう。 「〜のせい」という言葉を封印しよう。 自分で考えて自分で変えていこう。 そして、もっともっと発信していこう。 ボクたちは21世紀という「夢」の世紀をこれから一緒に生きようとしている。 参加したくても参加できなかった手塚さんや星さんやその他大勢の「夢」を、軽々越えてやろうではないか。 手塚さんや星さんの夢を叶える、なんて小さい小さい。 彼らの想像力を軽々越えてやろう。 彼らをバカにしてやろう。 身をよじるくらい21世紀を夢見て、そして語った彼ら。 大人になったら、21世紀になったら、楽しいことがいっぱい起こりそう・・・ 彼らのおかげでボクらは子供の頃、そう思った。 今度はボクたちの番である。 大人になったら、22世紀になったら、楽しいことがいっぱい起こりそう、と、子供たちに思わせてやろう。 だれもが発信者になれる、これからのブロードバンド時代。 他人まかせではなく。 アナタが、そしてボクが、テヅカやホシにならなくてはいけないのだ。 一緒に、いい世紀に、しようではないか。 |
不定期日記「雑談な日常」目次へ
「www.さとなお.com」トップページへ