映画「時をかける少女」アニメ版

2009年9月28日(月) 8:59:04

細田守監督のアニメ映画「時をかける少女」をやっと観た。公開時に見逃し、ようやくDVDで観た。というか細田監督の「サマーウォーズ」が良すぎたので早く観たくて仕方がなかった。

感想をひと言で言うと青春映画としてとてもよく出来ていたと思う。高校生活のいろんな描写、若いころの夏のいろんな感情がリアリティをもって描かれていてドキドキした。ラストシーンはさすがに泣けた。とてもいい映画だと思う。往年の原田知世ファン&大林宣彦ファンとしてはあの映画の記憶が上書きされてしまうことに多少複雑な想いもあるけどね。

ただ、青春映画としてはかなりの良作だけど、SF映画としてはわりとツッコミどころ満載かも。「このタイムパラドクス、どうすんだ?」と、途中で何度も立ち止まった。まぁでもこの映画は、青春の「二度と戻ってこない時間の切なさ」をタイムリープをモチーフにして描いているわけで、重心の位置がSFにはないから関係ない。 そういう意味において、この映画は大林宣彦監督不変のテーマを引き継いでいる正統な後継作品と言えるだろう。

でも、重心の位置がSFにはないとはいえ、やっぱり謎がいっぱいあるなぁ。
数多いタイムリープ自体もいろんな矛盾をはらんでいるけど、物語全体として「絵を見に来ただけなのになんで千昭は高校に入る必要がある?」とか「和子って記憶を消されたんじゃなかったっけ?」とか「なんで千昭はすぐに未来に帰らないといけないの?」とか「未来で待つって言ったって会えないじゃん?」とか「なんで千昭は真琴の記憶を消さないで未来へ帰るの?」(原作では消す)とか「別れ際、和子のところに連れて行って千昭に絵を見せればいいじゃん?」とか、大きな部分での疑問がいくつもある。

ということで、超妄想版極私的「時かけ」解釈をしてみたいと思う。ネタバレ注意だけど、公開から3年経ってるからまぁいいか。まだ観てない方は読まないでください(つか長いし)。


まず、主人公の真琴は、本来の時間軸では、踏切事故で死んでいる。その延長線上である未来から千昭は来た。これが前提。
タイムパラドクス的に考えると「千昭が過去に来て真琴を偶然救うことも織り込み済みな未来から千昭が来た」とも言えるし、パラレルワールドのお話という考え方(いくつもの未来が存在する)もあるけど、とりあえず真琴が踏切事故で死んでいる未来から千昭が来た、ということを前提として話を進めたい。

千昭が過去に来たのは「絵を見るため」と説明してはいるが、絵が修復中だからって高校にわざわざ入学する必要はない(絵の修復前か後にタイムリープし直せば良い)。
だとすると真琴と知りあうため(救うため)にタイムリープしたのだろうか。その場合、千昭は、理科実験室で一瞬時間を止めて、真琴自身にクルミでわざとチャージをし、素知らぬ顔して実験室を出る。そして千昭は事故直前に初めてのタイムリープをし、死ぬのを免れる、と考えるのが妥当だが、でも彼女を救うことが目的ならばわざわざ彼女にチャージする必要はなく、事故が起こる日に彼女が踏切を自転車で通らないようにリアルに画策するだけでよい。過去の人にチャージするというような超御法度なことをする必要がない(というか、過去を変えるためにタイムリープすること自体が御法度だ)。

とすると、「何か別の理由」で千昭は過去を訪れており、高校転入も何かそうする理由があり、真琴が実験室でチャージされて踏切でタイムスリップし死を免れるのは「全くの偶然」ということになる。(千昭が高校転入するための書類とか住む家とかは、原作がそうだったように催眠術でごまかしたのだろう)

ここで和子(美術館に勤めるオバサン)の存在が気になってくる。
彼女はもちろん、筒井康隆の原作、NHKによるドラマ化、そして原田知世主演の映画の主人公でもある芳山和子が30代後半になった姿である。オフィスでラベンダーを栽培し、深町一夫(ケン・ソゴル:2660年の未来からラベンダーを採取するためにやってきて、和子を好きになる)や浅倉吾朗と一緒に写った写真を机に飾っている。そして謎めいた言葉をいろいろ吐く。つまり自分がタイムリープ経験者であることは彼女も自覚しているようである。

ただ、過去において、和子の記憶は深町一夫によって消去されているはず(原作や大林映画もそういう設定)。だから覚えているはずがない。というか、一夫と一緒に写った写真も残っているはずない…。

この辺からボクの妄想が始まるのだけど、こうなってくると、一夫が消える前に和子とした約束「和子の前にいつか再び別の人間として現れる」というのが気になってくる。
つまり千昭は一夫ではないのか? 和子に会いに来たのではないのか? 和子があの絵を美術館の学芸員として精魂込めて守っていたことを未来でなんらかの文献で知り、未来では失われているその絵の現物を見るために(そして美術館で働いている和子を見るために)、こっそり未来から訪れたのではないか。そして何らかのカタチで和子と接触し、あのころ実は出会っていたということを打ち明け、証拠として写真を手渡したのではないか。

学芸員である現在の和子のオフィスに飾ってある写真がアップになる場面があるが、一夫の顔がわざと描かれていない(和子の顔はちゃんと描かれているのに)。これは一夫=千昭だからではないか。

ただ、気になるのは、千昭が真琴に「こんなに人がたくさんいるのを初めて見た」とか「こんなに空が広いなんて知らなかった」みたいなことを漏らす場面があること。つまり一夫=千昭だったらわざわざそんなこと言わない。一夫がタイムリープした日本はもっと空が広かったし、歩行者天国などもあってすでに人で溢れていた。つまり一夫は千昭ではないように思える。

となるとですよ、情緒的推測(妄想)も入れ込んで考えると、千昭は一夫の子供である、というのが落としどころとなるかも。
で、父である一夫から「過去にタイムリープして高校生になり、和子という同級生を好きになった。和子は後に美術館で絵を守る(修復する)仕事に就き、いまでは失われたある絵の修復で知られている」みたいなエピソードを(たとえば死の床で)聞き、千昭は和子に会ってみたくなり、彼女に会うために、そして絵の現物(この時期にしか見ることができないと千昭は語っている)を見るために、そして父が経験したという「古き良き日本の高校生」を経験してみるために、過去にタイムリープしてきた、と。で、高校に転入する、と。で、偶然真琴と出会う、と。で、クルミを落としてしまい偶然真琴の命を救う、と。

それと前後して、千昭は和子に会いに行き、一夫が保存していた写真を何らかの理由で手渡し、一夫からのなんらかのメッセージを伝える。和子はそれを(記憶はないものの)理解すると同時に、自分が「何かを待ちつづけた」理由を知る。そして、千昭に、すでに千昭の友人になってしまっている真琴に影響を与えないで欲しいと頼む、と。

でも、すっかり過去(高校生活)が居心地良くなった千昭は、真琴に告白しかけたり、違う子とつきあいかけてみたりしてしまう。わりといい加減というか、もう未来に帰る必要性を感じてないようにも見える。
ただ、最終的に千昭は知る。真琴の命を偶然救ってしまった時点で未来を変えてしまっているし、真琴の度重なるタイムリープで二重にも三重にも未来は変わってしまっているし、功介の命を救った時点で四重にも五重にも未来を変えてしまった。しかも過去の人にタイムリープの存在を教えるのは御法度である。自分がしてしまったことの大きさを身に染みて感じた千昭は時が止まったスクランブル交差点で真琴に別れを告げ、これ以上の影響を与えないよう姿を消す(未来にも帰れない)。

が、真琴がもう一度タイムリープして物語の始めまで巻き戻したので、また話が進行する。
時間を巻き戻し、千昭にクルミを渡して「タイムリープのことを知ってしまった」ことを告白した真琴。この時点で千昭は「過去の人にタイムリープの存在を教えてしまった」と初めて知り、真琴が何度か無自覚にタイムリープしたことも知る。事は重大で、もしかしたら未来のカタチは変わっているかもしれないし、時間警察みたいな存在に捕まる可能性もある。つまり未来に帰れない。でもこれ以上未来を変えられないから、真琴たちと一緒にいることもできない。

だから、たぶん千昭は未来へ帰っていない。
未来に帰るなら真琴の記憶を消すはずだし( ←原作)。
つまり、未来ではなく、この時代のどこかへ彼は去った。ただ、 誰と接触しても未来を変えてしまう可能性があるから、もう誰にも会えない。どこかでひとりで生きていくしかない。

そう考えてくると、真琴に告げた最後の言葉「未来で待ってる」は別の意味を持ってくる。
何百年後の未来で、という意味ではなく、「どこかで生き延びて、真琴の未来のどこかで、こっそり会いに来る」という意味で。たぶん未来に影響を与えないほどお互い老人になったころ、こっそり会いに来るのではないか。そのために真琴の記憶を消さずに残したのではないか…。

ここで真琴の「うん。すぐ行く。走っていく」という感動的な言葉になるのだが、真琴は千昭の言葉の深い意味がわからない。でも、「なんとかする」と思っている(これは真琴の口癖)。
それは「絵を守って未来でも見られるようにする」という意味かもしれないし「タイムリープできることを知っている唯一の過去人として、理系に進み(文系・理系の進路の分かれ目という設定だった)、タイムリープ開発者になり、なんとかして会いに行く」という意志かもしれない。それは千昭の意志とはズレているんだけど、生きていく大きな意志にはなる。

そして、真琴も千昭も、違う想いを持ちながら、「未来で会う」ために現在を生きていく…。


……って、朝からオレは何を妄想しているのか!(笑)
あぁまだいろいろ深く考えたいけど、そろそろ会社にかけて行かなくちゃ。長々おつきあいありがとうございました。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。

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