7 8 オサニチ第40回 俺は自分自身の中の無関心と闘っているんだ 4 5




ふと気がつくと、昨日と同じような一日を送っている。
昨日と同じように会社に通い、昨日と同じようにテレビを見、昨日と同じようにビールをグビる。
生活のためとはいえ、そんな毎日を送って老いぼれてくのはゴメン、だよね?

同じ顔した毎日に、ほんの小さな無理ない刺激。

機械的な毎日に人生を牛耳られないために。「オサニチ」。連載中。

 


第40回「オサニチ的胸にチクチクくる言葉(その28)」(2005年07月)

 

歳をとるにしたがい胸躍ることが少なくなってくる。好奇心や感受性が少しずつ衰えていっているのだろう。10代20代のころに比べると好奇心も感受性も少しずつ衰え、感動が薄れていく。単純に「老化」ということかもしれない。

一方で、長い年月によって経験が増えた、ということも大きい。
経験が増えてたいていのことは知っているからである。知っているから驚かない。前に何度か驚いているから新鮮味がない。驚かないから面白くない。そう、面白さの一番大きな要因は「驚き」なのだ。

この「経験が増えた」というのは、中年以上だけでなく、実は若者にも当てはまる。
なにせこの超情報化社会。情報の洪水は若者に疑似体験を増やし、一様に世間ズレさせてしまった。昔は書物や年長者から細々と仕入れていた様々な人生経験が、いまやどしゃぶりの如くいろんなメディアから降ってくるからある。望むと望まないに関わらず、一方的に降ってくる。これでもかと降ってくる。

精神科医の斉藤環さんがいうには、いまの若者は「負けた教」信者だそうだ。
「自分は人生でもう負けている」と思いこんでいる若者が増えているというのだ。 揺るぎなき「自信のなさ」を持っているというのである。

そうかもしれない。これだけ人生情報があるとその中で少々勝ったとしてもたいしたことないということがわかってしまう。表も裏も見えてしまう。ほとんどの可能性、ほとんどの結末は若者たちの前に圧倒的物量として提示され、「たいして変わらないよ」「諦めろよ」と囁きかけてくる。これでは努力して闘う勇気は出てこないだろう。

こういう発想は、実は若者だけでなく、中年以降の人々も陥りやすくなっている。情報洪水に晒されているのは一緒だからだ。この無力感、そして諦観がさまざまな無関心につながっていく。熱意を持って社会や人生に関わっても結局無駄なのではないか、という深い疑問から逃れられない自分がいる。

でも、こんな言葉を吐く人もいる。超大物ロックバンド「U2」のボーカル、ボノの言葉である。

 

正直にいえば、俺は自分自身の中の無関心と闘っているんだ。世の中なんてこんなものさ、俺なんかにできることなんてあるわけないさ、と思っている自分と闘っている。だから俺はいつも、そのあるわけないさということをやろうとするんだ。

 

アイルランド人シンガーで、貧困撲滅やエイズ問題の活動家でもある彼は、その過激な言動で世の中に問題提起をし続けているのだが(そしてその言動は毀誉褒貶の嵐に晒されている)、彼の活動の是非はおいておいて、この言葉には深い共感を覚えるのである。

自信たっぷりに活動しているように見える彼ですら、実は心の底では「負けた教」信者なのだ。
でも、彼はギリギリのところで闘っている。敢えて過激な言動をして自らを追い立て、活動せざるをえない場所に置いている。そしてもうどうやっても変わらないように見える世の中を少しでも改善して次代へ渡そうとしている。数十年後には忘れ去られ、また同じようなことを繰り返すのが世の中だとわかっていても。

ある意味、カッコ悪いのだ。クールに諦めている方がずっとカッコいい。
でも、ボクはボノの側につこうと思う。じたばたと自分の中の無関心と闘おうと思う。そして自分ができることを地道にしていこうと思う。きっとすぐ無気力・無関心が襲ってくるだろう。そのときボクはこの言葉を何度か読み返して、ボノと同じようにまた闘い始めるだろう。強力なチカラを持つ「負けた教」に負けないために。自分の中の無関心に負けないために。






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