ふと気がつくと、昨日と同じような一日を送っている。
昨日と同じように会社に通い、昨日と同じようにテレビを見、昨日と同じようにビールをグビる。
生活のためとはいえ、そんな毎日を送って老いぼれてくのはゴメン、だよね?
同じ顔した毎日に、ほんの小さな無理ない刺激。
機械的な毎日に人生を牛耳られないために。「オサニチ」。連載中。 |
第39回「オサニチ的胸にチクチクくる言葉(その27)」(2005年06月)
ワナビー族というのがいる。
もともとは70年代の言葉で、白人のくせにアメリカン・インディアンに憧れて彼等のライフスタイルを真似する一団を「wannabe(want to be)族」と揶揄したことに始まるらしい。転じて最近では「憧れているものになりたいと強く思う人」とか「アイドル歌手の服装や生き方などをまねる熱狂的ファン」のことをワナビーと呼ぶらしい。たとえばヘミングウェーになりたがってる人なら「The Hemingway wannabe」みたいに使う。“He is a Hemingway wannabe.” って感じ。
ただ、ボクがニューヨークに行ったとき聞いた感じでは、もっと広い意味に使っている人が多かったようだ。
「I wannabe a great artist.」とか「I wannabe a CEO sometime.」とか、単純に「〜になりたい!」って夢だけ語っているヤツのこと。
わりとネガティブなニュアンスで「あいつワナビーだからさー。いまの仕事まったくやる気ないんだよ」みたいな感じで使っていた。今の自分は仮の姿。将来は絶対大物になってやる。アイ・ワナビー! うはは。つまり「口ばっかなヤツ」ってことね。
振り返ればボクもワナビー族のひとりだったな、と、よく思い出すことがある。
あれは30代最初の夏だったかな。ニューヨークに出張で行ったとき、ポールという同年代の若者と知り合いになった。まだ若いけど友達と独立して、音楽プロデュースをやっていた。
ベンチャーとしてリスクを背負ってがんばっていた彼に比べて、ボクは普通のサラリーマン。ちょっと憧れたのか、もしくは対抗意識を持ったのか。彼とふたりで飲みに行ったとき、思わずこんなことを言った。
「ポール、オレ、本当は本を書きたいんだ」
サラリーマンのボクは仮の姿。本当はきちんと勝負したいんだよ。な、オマエならわかるだろ…。
温厚なポールに甘えたのだと思う。すると、ポールは急にイラついた目になり(そんな目をしたのは初めてだった)ボクをにらんでこう言った。
やりゃーいいじゃん!
一言叫ぶように言って、黙った。
でもその言葉から数多くのニュアンスが感じられた。
「やりたい。なりたい。今の自分は本当の自分じゃない。そんなこと言うヤツ、ここにはいっぱいいるんだ。やれよ。やりたいと言って本当にやったヤツはほとんどいない。もうそんな甘えたこと言うヤツにはうんざりなんだ。そんなヤツばかりなんだ。なんだよオマエも同類かよ」
一瞬で自分の非を悟った。顔が赤くなる。心の底から反省した。
もう、一生、絶対、やってもいないのに「○○をやりたいんだ」とか言うのはやめようと誓った。
その数年後、ボクはニューヨークでポールに再会した。
おぉ〜と抱き合ったあってその後の消息を確かめ合ったあと、唐突にボクはこう言った。
「Hey, Paul. I wrote a book !」
ポールは「ハ?」という顔をした。あまりに唐突だったこともあるが、たぶんそんなこと言ったことさえ忘れていたのだろう。
でも、ボクはどうしても伝えたかったんだ。
あのなんでもないひと言がどれほど効いたか。口ばっかりな人生から脱出して有言実行しようと決心させてくれたか。いまでも絶対やってもいないで「○○をやりたい」「○○になりたい」と言わなくなったか。ボクはその感謝を伝えたかったのだ。
あのとき強く怒ってくれなかったら、いまのボクはない。Thank you, Paul.
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