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ふと気がつくと、昨日と同じような一日を送っている。
昨日と同じように会社に通い、昨日と同じようにテレビを見、昨日と同じようにビールをグビる。
生活のためとはいえ、そんな毎日を送って老いぼれてくのはゴメン、だよね?

同じ顔した毎日に、ほんの小さな無理ない刺激。

機械的な毎日に人生を牛耳られないために。「オサニチ」。連載中。

 


第36回「オサニチ的胸にチクチクくる言葉(その24)」(2005年03月)

 

好きな数字というのがあって、昔から36は好きである(今回は連載第36回目)。
昔好きだった巨人の国松の背番号が36だったことから来ているのかもしれない。そういえば、偶然だけど結婚記念日も3.6だったりする。つか、なんとなく6の倍数って好きなんだよね。

同じように24も大好き(今回はチクチクくる言葉その24、でもある)。6の倍数だし、好きだった頃の巨人・中畑の背番号でもある。ボクが草野球でサードを守っていたときも24という番号を背負っていた。いまではアンチ巨人だし、野球自体もほとんど興味ないのだけど、なんとなく背番号って男の郷愁を誘うよね。

まぁそんなこと本題に関係ない。つか、今回は「第36回」で「その24」なわけですよ。そういう意味で、ボクにとってなんとなくスペシャル感があるので、今回はボクが作ったボク自身の言葉を取り上げようと、そういうわけです(自分の言葉なんて取り上げるのは厚顔極まりないので、延々と言い訳してきたらしい…)。

で、その言葉。偶然これも野球に例えているのだけど。


人生を打率ではかってはいけない。人生とは打数なのだ。

 


この考え方は自分の中で相当大切な位置にある。

ボクは意識して打数を増やすようにしている。人生における打数。いろんな経験と置き換えてもよい。
失敗するのがわかっているようなことでも、とにかく打席に立つことを重視しているのだ。平たく言えば、人生、打席に立ってなんぼ、ということだ。

だから打数はたいていの人よりかなり多い。相当多い。めちゃくちゃ多いかもしれない。当然、打率は下がる。イマイチなこと、おもしろくないこと、おいしくないこと、つらいことや哀しいことも、打数が多い分、増える。

が、それを恐れてはいけない、とボクは自分に命じている。
なぜなら、打数が多い人生の方が、結局楽しいと思うからだ。高打率だけど打数が少ない代打人生と、低打率だが打数はだれより多い一番打者人生のどちらが楽しいと思う? ボクは、まったくヒットが打てないことが続いたとしても、人より多く打席に立ち続ける方を選ぶ。だってたった一回の人生なんだもの、いろんな打席をひとつでも多く経験したいと思うのだ。

そりゃ打率が高い方が格好いい。どうせならはずしたくないし、損もしたくない。かっこよくも見せたいし、いい思いもしたい。

だから選んで選んで、自分が得意のところ、準備をちゃんとしたところだけ打席に立つ人もいる。人から情報を集めて、失敗しないようにマネージする人も多い。確かにそうすればアタリ率は増えるだろう。

でも、打数、少ないよ。一度の人生、そんな少ない打数でいいの? 一試合に一打席だけ出る3割打者と、毎試合五打席立てる2割打者と、どっちの人生の方が結果的に楽しいと思う?

打率を上げようと考えるから、いろいろ悩み、プレッシャーがかかる。人生の悩みの多くは「見栄」なのだ。意外と「打率低くてもまぁいいや。数多くいろんなことをやったもの勝ちなのだ」みたいなあっけらかんとした態度で解決することも多いと思う。

もちろん、イチローみたいに打率も打数も驚異的に多い人生は最高だよね。でも、イチローも、どっちを取るかと言われたら「打率 < 打数」と言うとボクは確信している。というか、彼ほど打数を愛する人はいない、とすら思うのである。






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