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ふと気がつくと、昨日と同じような一日を送っている。
昨日と同じように会社に通い、昨日と同じようにテレビを見、昨日と同じようにビールをグビる。
生活のためとはいえ、そんな毎日を送って老いぼれてくのはゴメン、だよね?

同じ顔した毎日に、ほんの小さな無理ない刺激。

機械的な毎日に人生を牛耳られないために。「オサニチ」。連載中。

 


第34回「オサニチ的胸にチクチクくる言葉(その22)」(2005年01月)

 

ボクは「向上」とか「成長」とか「進歩」が好きである。
ま、嫌いな人はそんなにいないだろう。出来る分野、やれる範囲を増やし、昨日より今日の方がよりよい生活、より楽しい人生になっていく感じ。昨日(過去)とまったく同じことを同じレベルでやるのはイヤだ。仕事もルーティンワークは嫌いである。家事も、その作業自体は嫌いではないが、毎日汚して掃除して汚して掃除しての繰り返しは「進歩ないじゃん」とか思ってしまう。そういうのは機械なんかに任せて、もっと成長する何かに時間を使っていきたい…。

そうやって毎日毎日、向上と成長と進歩を繰り返していくと、(病気やボケにならないと仮定して)死ぬ寸前に、それらは最高レベルに行き着く道理である。生きれば生きるほど経験値が溜まりスキルアップするんだもん、死ぬ寸前が一番レベルアップ状態になるに決まっている。でもさ、死ぬ寸前が一番レベルが高い、というのは「そのスキルを活かす時間がない」という意味で空しい気もするよね。向上と成長と進歩のあげく、ボクはいったい何をしたいのだろう。

これを会社生活に当てはめると、新入社員から向上と成長と進歩を繰り返し、定年間近で最高レベルに達するという図式になる。
このパターンの人は多いだろう。そしてきちんと経験値アップしてきた人ほど、定年間際になって悔しく思うのだ。スキルを活かす場を奪われることが我慢ならない。若手・中堅なんかよりずっとスキルがあるのに、積み上げてきたものがすべてゼロになり、会社から放り出されるのだ。

定年後、男が燃え尽きやすいのはこういうわけだ。あんなに積み重ねてきた向上と成長と進歩をリセットされる。いきなり新生活の新入社員として一からやり直させられる。いままでのスキルは活かせない。それどころか邪魔ですらある。人生の半分以上かけて手に入れてきた経験値が活かせないのかよ。やってらんないよ…。

向上と成長と進歩好きのボクも他人事ではない。定年燃え尽き系のオジサンたちを限りない共感を持って見ていたりする。十数年後はボクもああなるのかも…。なりたくないけど一体どうすればいい? そんなことを思っているとき、こんな言葉と出会った。

毎日プラスマイナスゼロで生きる生活感が必要ではないかしら。


加藤登紀子が毎日新聞のインタビューに答えた言葉である。これだけでは何のことかわからないかも知れないが、この言葉は以下のような前後を持つ。


女はこれまでも、とても短いサイクルで生きてきた。ご飯作って食べて、洗濯してまた汚して。進歩がないように見え、若いころはうんざりしたけど、毎日創り出して毎日ゼロに戻す営みをしぶとく積み重ねたことが、今、強みになっている。
男たちは進歩したり、増やしていくことに価値を置いてきたから、定年で白紙に戻されるのがつらいのでしょう。毎日プラスマイナスゼロで生きる生活感が必要ではないかしら。残る人生で、男性に『営む』ことを経験してほしいな。
私自身は『なぜ家事は女なの』と思いながらも自分でやってしまった。本当はもっと夫にやらせてあげればよかった。夫は鴨川自然王国の1人暮らしで家事に出合い、営むことも経験できた。随分変わりましたよ。


そしてこう続く。


若者も悩んでいます。生きる意味を考え過ぎ、歩き出せなくなる人もいる。でも気付いてほしい。鳥はなぜ飛んでいるの? 飛ぶように生まれてきたから。人間はなぜ生きているの? 生きるようにできているから。理由なんていらない。おなかがすいたら食べる。けがすれば癒やす。生きることに目的も理由もいらない。生きることの中に答えがある。それが命だから。

 

そう。そしてそれが「営み」だから。
向上と成長と進歩を考えるとき、そこに「目的」や「理由」がほしくなる。でも、そんなものいらないのだ。なぜなら「営み」だから。毎日毎日プラスマイナスゼロな営みを続けることこそ、実は「生きること」だからである。

ボクはこれを読んで、なんとなく引っかかっていた向上と成長と進歩への疑念が妙にすっきりし、「営む」という新しいベクトルを生活に取り入れるようになりだしたのでありました。そして、ルーティンのように続く家事も「営み」のひとつとして大切に貴重に思えるようになったのです。






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