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終戦記念日の8月15日、一年に一回くらいは戦争体験の本を読もうと書庫を漁っていたら「次郎物語」を見つけてしまった。 いや〜久しぶり! と思わず本に声をかけてしまったボク。 昔読み返しすぎたせいで本はもうボロボロ。表紙は破け、なぜか大きな醤油シミがついている。でもそういえば会社に入ってから読み返していないなぁ……と、結局誘惑に負け、そのまま徹夜で読み切ってしまったのだった。戦争体験記を読もうと思ってたのに!(戦争直前の思想統制のイヤな空気はこれにも十二分に描かれてはいたが)
特にうれしかったのは朝倉先生と再び会えたこと。読んでない人にはわからないかもしれないが、この物語の登場人物の中でも存在感抜群のキャラである。青年期の次郎をその澄んだ目でやさしく見つめてくれているのだ。 さて、今回のオサニチ的胸にチクチクくる言葉は、その朝倉先生の元で開かれていた精神的集まりである「白鳥会」の名前の由来にもなっているこんな言葉。
白鳥蘆花に入る。
蘆の花は白い。その蘆花が咲き誇る真っ白な蘆原に、真っ白な白鳥が舞い降りる、というだけの言葉である。知らない人にはわけわからない言葉だろう。ほとんど禅問答だ。でも、この言葉は青年期のボクに一番大きな影響を与えたと言ってもいい言葉なのである。 そう、中学以来この言葉はずっとボクの頭の片隅にそのイメージとともにあった。真っ白な蘆原に真っ白な白鳥が舞い降りる。するとその姿は蘆花にまぎれて見えなくなる。しかしその羽風のためにいままで眠っていた蘆原が一面にそよぎ出す……その鮮烈な映像イメージ。白鳥は蘆花に影響を及ぼしながら、自分はその中に入り込んで姿を消すのである。いや、影響を及ぼそうとすらしてないのかもしれない。ただ、結果的に、羽がおこすさわやかな風だけが、静かに広がっていくのである。 朝倉先生は言う。 もちろん、常にこの言葉とともに生きてきたからって、それが実行できていることにはならない。白い蘆原の中で妙に目立つ黒鳥になってたり、バタバタとこれ見よがしに羽を動かしていたり、現実はひどいものだ。 でも。たぶん。ボクはこれからもこの言葉と生きていく。千とせのなかの一日だけでも、まことの道にかなえばいいのである。
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