ふと気がつくと、昨日と同じような一日を送っている。
昨日と同じように会社に通い、昨日と同じようにテレビを見、昨日と同じようにビールをグビる。
生活のためとはいえ、そんな毎日を送って老いぼれてくのはゴメン、だよね?
同じ顔した毎日に、ほんの小さな無理ない刺激。
機械的な毎日に人生を牛耳られないために。「オサニチ」。連載中。 |
第28回「オサニチ的胸にチクチクくる言葉(その16)」(2004年07月)
相田みつをはキライである。
お好きな方がいらっしゃったらゴメンなさい。でもなんだか「ラクをしようとする意志」「うまく行かなかったときの言い訳」「ダメになったときの保険」みたいのが感じられて、彼の言葉の大半にどうにも拒否反応がでる。相田みつをを「思考停止のプロパガンダ」と評した友人がいたが、まさにその通り。何でも「人間だもの」と言い訳して思考停止していてはどこへも行けない。
そう、彼の言葉はヒトを現状維持で満足させてしまうところがある。ヒトをラクにさせすぎるのだ。自分のダメさ加減に肯定的になってしまう。まぁいいか、って。そして、ヒトの志とか向上心の基準を少しずつ下げて、結果的に世の中のレベルをじわじわ下げて行く…。
うはは。ちょっと厳しいか。
でも、そうやって斜めに見る癖をつけておかないと引きずり込まれそうなほど彼の言葉は強力だ。強力だからこそ、ヒトをラクにする方向に働かなかった時の彼の言葉はとても効く。ボクの心にチクチクくるのは、例えばこんな詩。
そのうち お金がたまったら
そのうち 家でも建てたら
そのうち 子供から手が放れたら
そのうち 仕事が落ち着いたら
そのうち 時間のゆとりができたら
そのうち・・・
そのうち・・・
そのうち・・・と、
できない理由をくりかえしているうちに
結局は何もやらなかった
空しい人生に幕が下りて
頭の上に淋しい墓標が立つ
そのうち そのうち
日が暮れる
いまきたこの道
かえれない
なにも付け加えることはない。ここまでがぶり寄りされたら言い逃れすらできないだろう。
「♪明日があるさ」と希望を持つのもいいけれど、実は人生に明日なんてない。
明日があると考えているうちは今日すらない。
人生とは今この「瞬間」を指すのである。ましてや「そのうち」なんてない。次の瞬間に終わってしまうかもしれないこの人生に「そのうち」という言葉はいらない。すぐやろう。すぐ取りかかろう。すぐ楽しもう。
といいつつ、この原稿もぎりぎりまで先延ばししてしまったボクである。
先延ばししている間、他に何か有効なことをしたというわけではない。単にだらだらさぼっただけ。ううう、もったいない。これぞ人生の無駄遣い。そのうち、そのうち、日が暮れる…。
|