ふと気がつくと、昨日と同じような一日を送っている。
昨日と同じように会社に通い、昨日と同じようにテレビを見、昨日と同じようにビールをグビる。
生活のためとはいえ、そんな毎日を送って老いぼれてくのはゴメン、だよね?

同じ顔した毎日に、ほんの小さな無理ない刺激。

機械的な毎日に人生を牛耳られないために。「オサニチ」。連載中。

 


第24回「オサニチ的胸にチクチクくる言葉(その12)」(2004年03月)


ニューヨークに出張で来ている。

もう11回目だか12回目だか……のべ10ヶ月以上はこの街にいるかもしれない。別に商社系のように海外出張が多い仕事ではないのだが、なぜかニューヨークには縁があり何度も来ている。

ニューヨークに限らず、アメリカに来たらいつも思うことなのだが、アメリカ人はヒトを褒めるのが実にうまい。褒めるところを無理矢理探してでも褒めてくれる。おとといなんかボロボロのコートを褒めてくれた。「オー、ミスター・サトー、すごくいいテクスチャーのコートだね」……テクスチャーと来たかい。まいったな。
もちろん社交辞令の一種で、裏で何を言っているかわかりゃしないが、それでもわりとポジティブな「気」は感じるな。まず褒める。これはとても大事なことだ。それに比べると日本人はわりとネガティブ。簡単にはヒトを褒めない。ヒトを褒めると損だと思っているのではないかと思うくらい褒めない。島国で人種も少なく似通った価値観を基本にしていることも原因のひとつかもしれない。「普通」と違った価値観に対して許容量が狭く、すぐ悪口言って足を引っ張るのだ。

悪口は気持ちいい。ボクも気をつけてはいるがたまに噴出する。他人を貶めて結果的に自分を持ち上げる。相対的に自分が偉くなったような錯覚も持つ(いわゆる「何様?」状態)。でもそんなとき、彼の言葉がチクッと胸を刺す。

 

中学2年のときから、人の悪口を言ったことがありません。

 

ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜がNHKのスペシャル番組で言っていた言葉である。
自慢げにではなく非常に素直に。彼の人柄からして本当のことなのだと思う。そしてこの言葉にこそ、彼の成功の秘密が隠されているようにボクは思う。

松井は成績不振の時も決して言い訳をしない。人のせいにしない。そういえばあの甲子園の5打席連続敬遠の時も全く相手チームの悪口を言わなかった。というか、これも自分の成長の一部だとでもいうように淡々としていた。彼はわかっているのだ。他人を貶めても自分の絶対的成長につながらないことを。相対的に他人と比べて自分を正当化しても何も生み出されないことを。

まず自分が努力すること。そして絶対的に成長・完成していくこと。
彼はそこにしか興味がないのだと思う。絶対的成長を価値観としておいているからこそ、不振も成長の一部として感じられるし人気の推移も一時のものだと感じられる。そして他人の悪口を言う必要が元からなくなる。だって相対的に他人と自分を比べる必要がないんだもん。

そう、悪口とは他人と自分を比べるから出る言葉なのだ。彼が悪口を言わなくなったのは、他人と比べるのを止めた瞬間からに他ならない。他人と比べないからこそ、彼は成長し、成功し、好かれるのだと思う。

彼はひそかに孤児の里親などもやっているという。それを別に発表しない。発表する必要がないのだ。なぜなら彼は他人の評価のためにそれをやっているのではなく、自分の成長と完成のためにそれをやっているから。だから彼はおごらない。必要以上に謙虚でもない(必要以上の謙虚さは自意識過剰である)。自然体。他人と自分を比べないからこそ出来る技なのである。

松井は才能には恵まれているが、決して超人なのではない。逆に言うと、こんなボクだって彼の態度を見習って他人と自分を比べずに努力を続ければ、きっとなにがしかのものになれる。そんなことを思ったりもするのである。






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