ふと気がつくと、昨日と同じような一日を送っている。
昨日と同じように会社に通い、昨日と同じようにテレビを見、昨日と同じようにビールをグビる。
生活のためとはいえ、そんな毎日を送って老いぼれてくのはゴメン、だよね?

同じ顔した毎日に、ほんの小さな無理ない刺激。

機械的な毎日に人生を牛耳られないために。「オサニチ」。連載中。

 


第23回「オサニチ的胸にチクチクくる言葉(その11)」(2004年01月)


謹賀新年。かごの鳥。

という年賀状を出したのは伴宙太。
星飛雄馬に宛てて、かごの鳥のように身動きできない状態を語ったものである。当時小学生だったボクはこの簡潔さとリズムにいたく感心し、しばらくそういう短い年賀状を出していた。「謹賀新年。うしの年」とか「謹賀新年。とらの年」とか(まんまやないの)。友達からは「素っ気ない」とめちゃめちゃ不評だったが、小学生にしてはちょっと大人っぽいと自分では陶酔していたっけ。

そんなことを思い出す年の初め。いまさらながらあけましておめでとうございます。今年もオサニチをよろしくお願いします。

新しい年を迎えるにあたり、年末にひとり酒飲みながら2003年を振り返ったりしたのだが、ボクはそこで深刻に反省したですよ。
何をって、どーも2003年はネガティブに生きていたような気がするのだ。いや、生き方自体はポジティブだったかな。でも、なんつうか、「戦争反対!」とか「ブッシュ嫌い!」とかに始まって、景気も悪い方悪い方に考え、マニフェストもネガティブ・チェックし、年金問題や道路問題や自衛隊イラク派遣問題にも憤慨し、と、どうも論点がネガティブだったんですね。正論を盾に「あれも反対!これもイヤ!」と叫んでた気がして、なんだかとても非生産的だったなと。

そんな反省もあり、今年初めての「オサニチ的胸にチクチクくる言葉」は、糸井重里(だったと思うが確かではない)のこんな言葉。

 

賛成運動をしよう。

 

そう。反対運動はそろそろ終わりにしよう。もっと物事をポジティブに見て、賛成表明をしていこう。反対するときばかり声大きくするなんてまるで野党みたいではないか。賛成のときこそ声を大きくしよう。反対デモではなくて、○○賛成!とデモをしよう。

たとえば「戦争反対!」みたいな反対表明はヒトをどこかで身構えさせる。「戦争反対って叫ぶのは簡単だが、国益とかお隣さん事情とか考えると…」みたいな「とは言っても」論が出てきてしまう。
でも、逆に「平和賛成!」と叫んでみるとそういう身構えはずいぶん減ってくる。「うん、まぁたしかに平和には賛成…」となり、「じゃあそのためにはどうしよう」と、ポジティブに次の論議に入れる気がするのだ。今年はそういう姿勢でいこう。積極的に賛成表明して生きていこう。

ちなみに、2004年、ボクの賛成運動(表明)第一弾はコレ。

平和ボケ賛成!

平和ボケの何が悪いのだ。人類のユートピア状態ではないか。平和ボケボケ大賛成〜!

と、ボケボケしつつ、今年初のオサニチを終わります。
みなさんも、この新しい年、賛成の視点で、物事をとらえ直してみませんか?






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