ふと気がつくと、昨日と同じような一日を送っている。
昨日と同じように会社に通い、昨日と同じようにテレビを見、昨日と同じようにビールをグビる。
生活のためとはいえ、そんな毎日を送って老いぼれてくのはゴメン、だよね?

同じ顔した毎日に、ほんの小さな無理ない刺激。

機械的な毎日に人生を牛耳られないために。「オサニチ」。連載中。

 


第22回「オサニチ的胸にチクチクくる言葉(その10)」(2003年12月)


将来「アメリカによるイラク侵略があった年」として記憶されるかもしれない2003年も、もう師走。
大義なく一方的に戦争を始め、オサマだけでなくサダムまで取り逃がし、大量破壊兵器は見つからず、ウソで固めた演説とマスコミ操作で国を動かし……個人的には20年後の教科書がどう書くかがマジで楽しみなんですけど。というか、日本も実質的に戦争参加国だからそんな客観的な態度ではいかんな。後世から軽蔑されるのはボク自身だ。しっかり自覚しよう。そう、今年は「忘年」してはいけない。「覚年」なのだ。覚年会をしなければ!


などと脳内をプクプク沸騰させていても、師走というあわただしい現実生活は容赦なくやってくる。
やれ年賀状だ、やれ大掃除だ、やれおせち作りだ、おっとその前にクリスマスプレゼントだ、などとやっているうちにガラガラと年は暮れる。あー面倒くさいし騒がしい。心静かに世界平和について考えたいのに!(ヒマがあるときは考えないくせに!)

ま、気を取り直して、今年最後のオサニチは、年末に効く言葉ということで。


迷ったら、それはゴミ。


ええとこれは誰が言ったかと言うと、ええとええと、誰だっけな、これはたしかボクじゃなかったかな。というか、ボクだ。朴さんではなくボクだ。うはは。いや、これはボクが10年前くらいに会社で作った「年末デスク回り整理促進ポスター」のコピーなのである。
意外と好評だったうえに、自作ながらいまでも掃除&整理のときの金科玉条にしていたりするので、ひょっとしたらみなさんにも効くかもと思ってあつかましくご紹介する。

でもね、マジで「少しでも迷ったらそれは捨てていいもの」というのは真実なのだよ。
あとで少しくらいは後悔する瞬間があるかもしれないが、その確率は非常に低い。「でも、思い切って捨てた翌日に、あぁあれがあれば!と後悔したこと何度もあるもん」っておっしゃる方もいらっしゃるが(我が嫁さん)、実はそれは100回に1回のことを印象深く覚えているだけなのだ。
まぁ100歩譲って後悔したとしても、それは一瞬だ。代用品で間に合わせたりして凌いできたではないか。大勢に影響なし。捨てろ捨てろ。一瞬でも迷ったらすぐゴミ箱だ。え? もったいないからフリマに出す? だから取っておく? なるほど、フリーマーケットやリサイクルショップやチャリティに出す習慣がある人なら是非そうしよう。でもそんなことしたことないのにいざ捨てるとなるとぐじぐじ言い出すそこのアナタ。捨てましょう。いつか使う? いや絶対使わない。捨てましょう。

ボクは阪神大震災を神戸で経験し、家の中の物をずいぶん失った。というかぐじゃぐじゃになってしまい捨てざるを得なくなった。で、あとで気づいた。(捨ててしまって)なくて困ったものなどひとつもなかった。「あれさえあれば〜!」と泣き叫んだことなど一度もなかったのだ。もちろん数十年生きていれば大事な物はある。でもよーく考えると少ないのだ。あとはだいたい捨ててもいいものなのである。

ちなみにこの言葉、大掃除に効くだけではない。年賀状にも効く。冷たいようだが、一瞬でも「この人、出すのどうしようかなー」と迷った相手には出すのをやめましょう。そう、捨てる。年賀状を出さないと関係が壊れるような人ならもともとたいした関係ではない。その分、迷わず出そうと思ったあの人に時間をかけて気持ちをこめて年賀状を書いた方がずっといいのだ。
冷たい? いや、八方美人の方がもっと冷たい。はい、捨てる捨てる!




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