ふと気がつくと、昨日と同じような一日を送っている。
昨日と同じように会社に通い、昨日と同じようにテレビを見、昨日と同じようにビールをグビる。
生活のためとはいえ、そんな毎日を送って老いぼれてくのはゴメン、だよね?

同じ顔した毎日に、ほんの小さな無理ない刺激。

機械的な毎日に人生を牛耳られないために。「オサニチ」。連載中。

 


第21回「オサニチ的胸にチクチクくる言葉(その9)」(2003年11月)


ずっと不思議に思ってきた。

政治のトップとか、企業のトップとか、みんなもうかなりなお歳なのに軽々と激務をこなしている人たちの体力についてである。「この人なんで疲れないんだろう?」「とっても忙しいだろうにどうして身体が持つのだろう」と。40すぎの若輩者でも毎日ヒーヒー言っているのに、どうして70歳とかで平然と夜遅くまで働けるのだろう。

実際、彼らはパワフルだ。
もう老人と言ってもいい歳なのに、夜討ち朝駆けでも平気だったりする。議員でも徹夜で国会とかやっていたりするし、大企業の社長なんかは分刻みで予定をこなし、夜は毎日接待だったりする。ずっと若いこちらの方が疲れ切り「あーやっぱりもともとの体力が違うのだな、体力がある人がやっぱり出世とかして偉くなっていくのだな、これはもう資質の違いだー」などとぼやいていたりする。


でも、それがどうやら体力の違いではないらしいことに、数年前気がついた。

ボクは代理店でCMなどを制作するのが本業だが、プランニング以外に撮影や編集の立ち会いがあり、とにかく体力勝負のスケジュールになりがちだ。徹夜で編集立ち会いなどしょっちゅうなのだ。
たとえばCM制作では、最終的に撮影と編集を監督の手にゆだねるのだが、この人たちがまたとてもパワフル。2日連続徹夜とかでこっちはヒーヒー言っているのに、同じように徹夜している監督(50代60代も多い)はピンピンしたりしている。だから「もともと体力がある人が監督になっていたりするのだろうなぁ」などと思っていたのである。

が、あるときボク自身が監督を務めないといけない仕事があった(代理店が監督をすることはきわめて稀)。半分仕方なく半分喜んで撮影や編集の指揮をしたわけだが、これがね、やってみるとね、いくら徹夜しても疲れなかったのですよ。まわりはヒーヒー言っている。でもボクは「あそこを直したいここをいじりたい」とまだまだ徹夜したがっていたりしたのである。

そのとき、わかりましたね。
自分主体で他人をひっぱり回すなら、人間って疲れないんだ、と。
それどころか生き生きしたりする。自分の才能に酔ったりして、快感すら感じるのである。

ひっぱり回されるから、忙しいし疲れ切る。自分の考えで動けず、他人に指示されて忙しく振り回されるから疲弊するのだ。なるほどー。大臣とか社長とかも別に元から強靱な身体を持っているわけではなく、主体的に(ある意味わがままに)動いているから疲れないんだなーって。

今回の「オサニチ的胸にチクチクくる言葉」は糸井重里の言葉から。


「忙しい」って結局何かに使われている状態ですよ。



そう。使う立場の人は忙しくないのだ。だから疲れないのである。
政治や企業のトップたちはきっと「忙しい」と感じていないと思う。どんどん自分の考え通りに他人を引っ張り回す。だから忙しくない。疲れない。個人業もいっしょ。自分の好きなことだけを研究している研究者やライフワークに挑んでいる作家とかも、誰からも使われていないから忙しくない。だから疲れない。誰かに研究課題や〆切を与えられてたりすると途端に忙しくなる。だから疲れる。

「忙しい〜」「バタバタしてます〜」などと、サラリーマンは言い訳しつつ忙しい自分を自慢する。でもこれは「使われまくってます〜」「主体的に動けてません〜」と言っているようなものなのだ。うはは、恥ずかし〜。

「忙しい〜」とか他人に言うのは恥ずかしいからもうやめよう。糸井重里のこの言葉を思い出すたびにそう思うのである。




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