ふと気がつくと、昨日と同じような一日を送っている。
昨日と同じように会社に通い、昨日と同じようにテレビを見、昨日と同じようにビールをグビる。
生活のためとはいえ、そんな毎日を送って老いぼれてくのはゴメン、だよね?

同じ顔した毎日に、ほんの小さな無理ない刺激。

機械的な毎日に人生を牛耳られないために。「オサニチ」。連載中。

 


第17回「オサニチ的胸にチクチクくる言葉(その5)」(2003年7月)


人間、30代後半〜40歳を過ぎると自己模倣しだすそうだけど、みなさん、心当たりありませんか?

ボクもまぁちょっとはあるなぁ。
特に会社の仕事。過去の成功パターンを思い浮かべ、ちょいと自己模倣して他の仕事にも応用してしまう。で、それが案外とうまくいってしまったりして、なんとなく「自分のパターン」として自ら固定してしまう。おお、そっかそっか、今回も好評だったぞ、これでいいのか、そりゃそうだよな、前も好評だったし、今回は相手先も違うし、これでいいんだよ、第一これが「ボクのスタイル」なんだよ、そうそう、優秀な人はみんな独自のスタイルを持っているじゃん、自分のスタイルを持つことこそ「プロ」なんだよ……

そんな風に自分を甘えさせ、仕事をワンパターンにしていく。 得意分野もふやさず、不得意分野も克服せず、いままでの成功パターンにしがみつき出してしまう。
そう、 成長をやめてしまうのだ。
いや、成長というか「変わり続けること」をやめてしまうのだ。世の中や周りの状況が変わり続けているのに、自分は変わるのをやめてしまう。結果として世の中から遅れていく。自分ではどこが遅れたのかすら気がつかないうちに、あっという間に遅れてしまう。若い頃バカにしてた「遅れた中年」そのものになってしまう。

とはいえ、実際に変わり続けることは楽ではない。
ある程度の歳になったら特にしんどい。あぁ適度に自己模倣して適当に逃げ切りたいぞー。


でも。そんなとき、こんな言葉がチクチク胸にトゲを刺す。




あの人は勉強しなくなった。だから、もう招びません。





ウィーン・フィル(ウィーン交響楽団)の名バイオリニスト、ライナー・キュッヒルが、ある「巨匠」指揮者を指してこう言ったという。経験豊富な巨匠をこう言って切り捨てたというのだ。厳し〜。

ウィーン・フィルは指揮者を楽団員が選べたりする独特の自治運営。
ライナー・キュッヒルを含めて、みな常に勉強を怠らない世界一のオーケストラではあるが、それにしても厳しいではないか。巨匠というのは長年勉強と挑戦をしつづけある境地に達した人である。その巨匠にすら立ち止まることを許さず「彼は勉強をやめて、新たな解釈やチャレンジをしなくなった」と切り捨ててしまうとは……。

ただ。
厳しすぎると思う一方で、世界の第一線というのはこういうことなんだとも思う。

立ち止まった人から抜けていくのが世界で戦うということなのだ。作家の村上龍が「日本の若者が独特の悲しい顔をしているのは、自分のやっていることが海の向こうで通用しないってことが、なんとなくわかっちゃっているからだ」みたいなことを言ったらしいけど、世界で戦わざるを得ないこれからの日本人(ボクたちも含む)は、このような厳しさを持たないと結局海の向こう(アウェイ)では通用しないということなのだ。

極東という田舎では、自己模倣で生きていけるかもしれない。
でも、それではいけない。
まだ日本ですらトップクラスに躍り出ていない30代40代が立ち止まってはいけない。身近な小さな仕事でも立ち止まらず変わり続けないと世界では通用しないのだ。

この言葉を思い出すたびに、そう気を引き締め直すボクなのです。




satonao@satonao.com