ふと気がつくと、昨日と同じような一日を送っている。
昨日と同じように会社に通い、昨日と同じようにテレビを見、昨日と同じようにビールをグビる。
生活のためとはいえ、そんな毎日を送って老いぼれてくのはゴメン、だよね?

同じ顔した毎日に、ほんの小さな無理ない刺激。

機械的な毎日に人生を牛耳られないために。「オサニチ」。連載中。

 


第16回「オサニチ的胸にチクチクくる言葉(その4)」(2003年6月)



ボクは基本的にオールラウンダーである。

共通一次世代ということもあるかもしれない。突出して何かの科目、たとえば物理とか英語とか日本史とかが出来るより、なんでも平均して出来る方が良いとされていた時代だった。だから手広くいろいろ出来ないといけないと思ったし、いろいろ出来るようになりたいとも思ってきた。

そうやって努力しているうちに守備範囲はそれなりに広くなった。たぶん元々そういうタイプだったのもあるだろう。典型的「広く浅い人」になった。それはそれで人生楽しいから問題はないのだけど、結局「狭く深くそれだけをやってきた人」には絶対勝てないということに後で気がついた。30歳を越えた頃にやっと。

例えば音楽なら、ジャズでもクラシックでもポップスでも歌謡曲でも平均してそれなりに詳しいボクである。でも、ジャズだけ突出してやってきた人とかの前に出ると手も足も出ない。そのうえ、他人から見ても、ボクが音楽を好きなのはわかるが得意ジャンルがつかみにくい。音楽全般について広く浅く知っていても、すごいなぁとは思われない。人生を楽しむ分には問題なくても、自分のプレゼンテーションとしては効率がとても悪いのである。

さて。今回はそんな自戒も込めて、胸にチクチク刻みこんでおきたいこんな言葉。




記憶に残る幕の内弁当はない。




秋元康がどこかの番組で言った言葉である。聞いて以来、ボクの脳みそに染みついて離れない。

そう、幕の内弁当はいろんなものが入っていて結果的には美味しかったりするのだが、どういう弁当だったか案外記憶に残らない。よく出来た美味しい幕の内弁当より、味に少々の難はあっても、とんかつが存在感をもってど〜んとある「とんかつ弁当」だとかの方が記憶に残ったりするのだ。
つまり、幕の内弁当は何でも入っているけど売りがないのである。敢えて言えば「何でも入っている」のが売りなのだが、ポイントが分散して記憶に残りにくい。とんかつ弁当はとんかつ以外が貧相でもちゃんと売りがある。

人に自分をアピールするとき。人に何かを伝えたいとき。人に何かを伝える制作物を作るとき。ボクはこの言葉を思い出し、何か「売り」になる中心的なことに絞って表現するようにしている。思わずあれもこれもと詰め込みがちだけど、実はそれでは印象に残らない。特に初対面ではそう。突出した売りを作らないと記憶にも印象にも残らないのだ。
表現だけではない。趣味も、ファッションも、イベントも、メールの文章も、なにかひとつ売り(ポイント)をもって、それを前面に押し出さないと、他人の記憶には残らないものなのだ。

ちなみに、アピールすることを考えなければ、幕の内弁当的な方が実は人生は楽しい。
あれもこれもおいしく、おかずの下に意外なおかずが隠れていたりして広がりもある。だからまぁこの言葉は「何かを人にアピールしようとする場合」に限って有効なんですね。

これから世界へ出て行く人たちは特に幕の内弁当ではいけないかも。
自分とは何者か、を明確な売りを持って外国人に伝えるために、ぜひ売りを持ってしっかり自己プレゼンテーションをしてくだされ。




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