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フィービー・スノウ「フィービー・スノウ」
一度聴いたら、鼓膜に張り付いて離れない魔法の歌声……。
フィービー・スノウの「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」を初めて聴いた夜から20年以上たつけど、彼女の声は常にボクの鼓膜と一緒だった気がする。
なにかの拍子にホワッとフィービーの歌声が鼓膜から漂い出る。どこに隠れていたのかわからないけど、ふとフィービーの歌声が耳元でする。そして漂い出たが最後、しばらく鼓膜脇に住みついて離れない。
いや、魔法の歌声といっても、ジョップリンみたいに迫力があるわけでも、ロッドのようにセクシーなわけでも、エルトンのように澄んでいるわけでもない。
声質自体はいたって普通なのだ。
なのに、鼓膜に、いや、心に住みついて離れない…。
なんなんだろうな、これ。
ま、その「泣き崩れるようでいて明るい歌唱法」が独特、ということに尽きると言ってしまえばそれまでなんだけど、なんというか、心に土足で入り込んでくる感じは、歌唱法だけではないと思うのだ。
例として正しくないかもしれないけど、今は亡きザ・ブルーハーツの甲本ヒロトの声って、よく聞くと普通なのに、まっすぐ心に飛び込んでくるじゃん。あれに近いかも。
「喉こそ究極の楽器」だと言われているけど、ここまでそれを感じさせる歌手もいないと思うのだ。
このアルバムは彼女のデビューアルバム。
全曲、彼女のオリジナルで構成した「衝撃のデビュー作」なんだけど、プロデューサーはなんといきなりあのフィル・ラモーンだったりする。
70年代に入って、ボブ・ディランやポール・サイモン、エルトン・ジョン、ポール・マッカートニー、ザ・バンドなど燦然たるアーチストのプロデュースを手がけ、この後、ビリー・ジョエルの一連のアルバムで世界的に有名になる彼だが、よっぽどフィービーの才能に惚れ込んだのか、その忙しい合間を縫ってフィービーのこのデビュー作、そして次作以降もずっと手がけているのである。
バックはみんなニューヨークの一流スタジオミュージシャンらしいし、テナーサックスはズート・シムズがやっていたり、なんつうか、デビュー作からティンパンアレイをバックにつけた荒井由実を思い出す。
ま、なにはともあれ、一曲目からゆっくり聴いてみてください。
GOOD TIMES、
HARPO'S BLUES、
POETRY MAN、
EITHER OR BOTH、
SAN FRANCISCO BAY BLUES、
I DON'T WANT THE NIGHT TO END…
なんてすごいブルースの連続。
なんて人間くさい言葉の連なり。
なんてアコースティックな喉の響き。
特に「SAN FRANCISCO BAY BLUES」は、フェバリット。
つうか、フィービーの中では一番有名な歌なのかな。
「GOOD TIMES」や「POETRY MAN」も素晴らしいし、「POETRY MAN」は全米で5位まで行ったんだけど、いまからフィービーを聴く人にはやっぱりまず「SAN FRANCISCO BAY BLUES」を聴いて欲しい。
この歌い方、この喉、この孤独感、この明朗、この客観・・・
……そうか。
明るくて客観なんだ。
例えばジャニス・ジョップリンとかは、悲しいときは悲しい声で叫ぶんだけど、フィービーは孤独で悲しいブルースなのに、妙に「客観」していて、「冷静」に「明るく」歌い綴る。
だからこそ、心に抵抗なくまっすぐ届いてくる。
泣き崩れるようでいて妙に明るいその歌唱法だからこそ、心に感情を伝えてくるのだ。
涙声だけが哀しみを伝えるとは限らない。
冷静な明るさこそ、哀しみを伝える事なんて山ほどある。
フィービーの歌声が心に住みついてしまうのは、その冷静な明るさのせいかもしれない。
フィービー・スノウ……客観的にブルースする魔法の歌声。
ボクはジャニス・ジョップリンやトム・ウェイツより、明るくブルースするフィービー・スノウに先に出会えて、とってもラッキーだったと、ちょっと思うのです。
【2000年5月記】
2001年05月01日(火) 21:35:32・リンク用URL





