2000年05月
「神の子どもたちはみな踊る」

amazonとっても完成された短編6編。
共通するモチーフは阪神大震災である。そういう意味では「連作小説」になるのだろう。
わけわかんねぇよ、って読後感の方もいらっしゃるかもしれないが、ボクは非常にしっくりきた。それは阪神大震災による「喪失」を体験したという個人的環境も手伝っているのかもしれない。短編の名手がじっくり仕掛けたそれはボクの心の奥深くまでしっかり食い込んできた。
基盤を崩された者の不安感、カラッポ感、ひいては神の不在感、そして自分の不在感…。そんなものを浮き彫りにするために著者はいろんな仕掛けを繰り出す。
そして「突然基盤を崩される」ということが震災だけでなくごく日常に存在し、それはある意味「死」をも包含するのだということを暗示している。そこには神も不在である。自我も不在である。そしてそれを現代社会の病理ではなく、普遍の問題として描こうとしている。阪神大震災という時事ネタを使用してはいるが、著者は巧妙に物語から時制を排除し、問題を普遍化しているのだ。
地下鉄サリン事件を掘り下げた著者の当然の帰着点だろう。あれも突然な出来事による基盤の喪失であった。そういった体験が個人にどのように作用し人生がどのように変わっていったか、著者は尋常ならざる興味を持って取材し「アンダーグラウンド」一連の本に仕上げた。
なぜあそこまで興味をもったのか、当時はいまひとつピンとこなかったが、これを読んでようやくわかった。この短編はそれを受けての著者の「ある回答」なのだ。この短編の中のどれかは、将来著者によって長編に生まれ変わる予感がする。
2000年05月01日(月) 12:00:00・リンク用URL
ジャンル:小説(日本)
「ロケットボーイズ」

amazonNASAの元技術者が書いた自伝。
全米でベストセラーを記録し、映画にもなった(邦題「遠い空の向こうに」)。アメリカの田舎の炭坑町で、ロケットに憧れ、ロケットを飛ばすことを夢見た高校生たちの実話である。
ソ連のスプートニク打ち上げで宇宙開発に一歩後れをとったアメリカの当時の雰囲気や田舎の炭坑の様子が活写され、劣等生たちがロケットを飛ばす夢をどうやって叶えていったか、ちょっと「アメリカン・グラフティ」みたいな雰囲気の中、清冽に描かれていく。ケネディの時代、夢が夢であった時代、そんなノスタルジィもあるのだろう、ちょっときれいに描きすぎているきらいはあるが、登場人物たちが魅力的なこともあって(父や母や先生たちといった脇役のキャラが立っているのだ)、飽きさせない。淡々とした筆致で静かに物語が進むさまも好感が持てる。
歌い上げている自伝は基本的に苦手であるが、題材がとてもいいのだからもうちょっと歌い上げても…と思わせる感じがこの本にはあった。また、キーになるロケット技術の描写を端折りすぎているのも気になる。読者はかなり興味を持って読んでいるので、例え少々専門的になろうとも、もうちょっとでいいから描写してほしかったと思うのである。
2000年05月01日(月) 12:00:00・リンク用URL
「経済ってそういうことだったのか会議」

amazon有名CMプランナーにして「だんご三兄弟」の作者である佐藤雅彦は「仕掛け」が非常にうまい知能犯。この本でも「大学を出てサラリーマンもやったけど、結局、経済ってよくわかんない」というスタンスを明確にして、とっても身近で平明な例をひきつつ、経済とはどういうことなのかを解き明かしていく。応えるのは竹中平蔵。これまた頭の固い経済学者に爪の垢を煎じて飲ませてあげたいくらい平明に佐藤の質問に答えていく。
題名もいい。装丁も素敵。内容は実にわかりやすい。かといっていわゆる「サルにもわかる」的うざったさもない。ある程度の知力を前提として書かれているあたりのバランス感が見事なのだ。
こういったややこしいことの質問者として佐藤雅彦ほどの適任者はいまの日本にはいないのかもしれない。西原理恵子もある意味一人者だが、ちょっとサルに偏りすぎる。彼にもっといろんなものの不思議を解いていって欲しい、と、ちょっと他力本願に思ったりするボクは怠け者です、はい。
2000年05月01日(月) 12:00:00・リンク用URL
「サラリーマン転覆隊 門前払い」

amazon傑作シリーズの最新刊。
サラリーマン転覆隊の面々が日本そして世界の様々なる川をカヌーで下っていく(今回は富士山をMTBで滑落していく章もある)お笑いカヌー紀行であるのは前作と変わらない。相変わらずのおもしろ文体と上手なデフォルメでしっかり笑わせてくれる。まぁ川は変わろうがネタ的には変わらないので、だんだん吉本新喜劇を見ているような趣になっていくが、「サラリーマンの生き方とはなんだ? 元気に生きたっていいではないか! もっと遊ぼうぜ日本のサラリーマン!」みたいなプレゼンテーションが読者に伝わってきて「よくやるよ」と思いつつ知らず知らずに元気になっている自分に気がつく。
ただこれは良し悪しで、あまりに「サラリーマン」を強調しすぎて、今回は少し説教くさくなっているかもしれない。
あとがきに「サラリーマンの応援歌として書く」とあったが、そういう匂いが前面に出てくるとシリーズの爽快さが消えてしまうかもしれない。結果論的に応援歌になるならいいのだが、意図を持ってそのように書くのはやめた方がいい気がする。ちなみに著者はボクと同じ会社のヒトなんですね。お会いしたことないけど。
2000年05月01日(月) 12:00:00・リンク用URL
「嘘をもうひとつだけ」

amazonこの著者の頭の良さは「白夜行」で証明済みだけど、今回もなかなか頭がいいのである。
短編集なのだが、すべて犯人側の視点で描かれていて、犯人なのに犯人ではないような心理描写をしつつ、どの短編にもひとりの敏腕刑事加賀が関わってくる構造(一部、被害者視点もある)。この構造自体がなかなかに新しい。その刑事も、客観描写のみでキャラがしっかり立ち上がっており、上手である。
難を言えば、どの登場人物にもカタルシスを感じられないまま終わるところ。
つまり陰の主人公である加賀刑事は客観描写のみなので入り込めない。それぞれの短編の主人公にも、その心理描写のトリックもあって入り込めない。それがこの短編集を少し薄いものにしているのは確か。たぶん、加賀刑事をもうちょっと個性的に描いたりすることで解決されるのだろう。例えばフロスト警部とかコロンボ警部みたいに。でも、著者はわざとどこにでもいるような刑事にしたのだろう。ありそうな日常、も演出のうちだろうから。
2000年05月01日(月) 12:00:00・リンク用URL
ジャンル:ミステリー
「聖の青春」

amazon1998年、わずか29歳で他界した天才棋士村山聖(さとし)の伝記である。
「本の雑誌」で茶木氏が「今年一番の大感涙物!」とベタ誉めしていることもあって読んだが、感涙を目的にするという意味ではイマイチであった。泣けない。ただ、ネフローゼという難病に冒されながら憑かれるように将棋にのめりこんでいった彼の青春の日々はボクの心に確実に何かを残したのだと思う。読み終わってからも妙に彼が脳裏から離れない。彼が生きた大阪は福島界隈をそぞろ歩いてみたくなる。彼が毎日食べた定食を食べてみたくなる。そんな感じ。
著者は彼と親交のあった将棋雑誌編集長。こなれた文体で外から内から村山聖をしっかり活写している。労作。
2000年05月01日(月) 12:00:00・リンク用URL
ジャンル:自伝・評伝
「岡本太郎の世界」

amazon自分を「異化」したい、と、切実に思う今日この頃。岡本太郎の芸術にたどりつくのは必然であったのだろうと思う。
「芸術は気持ち悪くあるべきだ」という彼の主張が、この歳になってやっとわかってきた。理解できてきた。ずっと「ただ美しくあればいい」と思ってきたが、違和感なくしてなんの芸術であろう。見ている人の心を異化し、そこに二次的ななにかを生み出すこと。技術に頼った芸術や安易な感動を呼ぶアートとは一線を画す岡本太郎の凄み。彼のすごさを味わうなら、この本は過不足なく出来ていると思う。
この写真集&研究書&伝記を熟読した後、車窓から太陽の塔を眺める機会があった。年月が経ち、妙に景色と同化してしまった太陽の塔。これは太郎の意思と反するのだろうな、と妙な感慨を覚えたのである。
2000年05月01日(月) 12:00:00・リンク用URL
「えんちゃん」

amazon副題に「岸和田純情暴れ恋」。
岸和田を舞台に様々な青春を描いてきた著者による最新刊は、著者の両親の恋を描いたバイオレンス純愛小説である。
著者特有の大仰すぎるギャグはちょっと身を潜め、全体的にとてもバランスの良い佳品に仕上がっているが、読者が主人公の俊夫の破天荒さに最後までカタルシスを感じられないのがちょっとだけ弱い。江美が俊夫にどうしようもなく惹かれていく過程にもう少し共感できれば、文体の勢いや素材の力もあって、もっともっといい小説になった気がする。残念だ。
たぶん、著者は過渡期にあるのだと思う。性描写や愛情表現の描写にまだテレがあるのは軽妙な文体を守っているせいなのだろうか。いっそのことハードボイルド的な重い文体にトライして新境地を開いて欲しいと、著者のファンであるボクは思うのだけど。
2000年05月01日(月) 12:00:00・リンク用URL
ジャンル:小説(日本)
「私は臓器を提供しない」

amazon「ドナーカードに承諾のサインをしなかったら、それは人道にかなわないことになるのか」というテーマのもと、「私は臓器を提供しない」という立場をとる執筆者が集まり、それぞれの論を展開し、読者が自分の立場を選択するための材料提供をしてくれている新書。
企画とてもよし。執筆者まぁまぁよし。ヒューマニズムという美名のもと「なんとなくいいこと」と思われ押し進められている「臓器提供」をもう一度考え直すきっかけになる。
が、どうも読後感が散漫だ。もちろん複数執筆者が好き勝手自分の意見を書いているだけなのだから散漫になるのは仕方がないし、いろんな切り口でこの問題を切っていこうという編集方針も正しい。ただ、ことは「死とはなにか」という根本的問題にぶちあたらざるをえないため、それぞれの執筆者の死生観が中途半端な枚数で中途半端に語られてしまう。それがこの本をとても居心地の悪いものにしている。もうちょっと執筆者の数を絞って(10人書いている)、じっくり書かせてみてもよかったのではないだろうか。
個人的には橋本克彦による論の展開が一番しっくり来た。そう、そうなのだ。肉体にも自我は宿っているのである。うん。
2000年05月01日(月) 12:00:00・リンク用URL




